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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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展覧会review サントリー美術館《エミール・ガレ展》


こんにちは如月東子です。
今日は、六本木にあるサントリー美術館で開催中の
オルセー美術館特別協力生誕170周年〈エミール・ガレ〉展の感想です。


エミール・ガレ(Charles Martin Émile Gallé 1846−1904)は、
アール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家として知られています。


今回の展覧会は、
主にサントリー美術館が所蔵する
エミール・ガレのガラス作品を多数展示すると共に、
ガレがデザインした陶器や木製の家具などが展示されています。

さらに、オルセー美術館所蔵のデッサン等の出品があり、
ガレの創作の過程やインスピレーションの源を
探ることができる展覧会となっています。



【この展覧会の特徴】

展覧会の最初と最後を飾るのは
「ガレと究極」と銘打たれたこの2つの作品。
最初に目にするのは蜻蛉の象嵌を施された白っぽいガラスの脚付杯。
そして、最後を飾るのは「ひとよ茸」の形をした
1メートル近くあるガラスのランプ。

「ガレが創作を通して追い求めた最終的、究極的形態はなにか?」
という問いにこたえるべく、
ガレを理解するための下記の5つのテーマが設定されています。

Ⅰ ガレと祖国
Ⅱ ガレと異国
Ⅲ ガレと植物学
Ⅳ ガレと生物学
Ⅴ ガレと文学


展覧会の冒頭にパネルでもって展覧会の構成が明確に示されており、
テーマ性を非常にはっきり打ち出した特徴ある展覧会だと思います。



【私のみどころ】

Ⅰ章おいては、
高級陶器とガラス器の製造販売会社を営む家に生まれたガレが、
フランスの伝統的な技法や文様を習得して行った頃の作品や、
普仏戦争に義勇軍として参加までしたガレの
愛国心・愛郷心を感じさせる作品などが見られて興味深いです。



また、Ⅱ章でみられるように、
「万博の時代」を背景として、
世界の様々な地域の様々なモノから、
意匠的のみならず、技法的なインスピレーションを得ていた点も
非常に面白いところでした。

おもわず、日本や中国の陶器、堆朱などの漆製品、金属器を
なぜガラスで再現するのか?と思ってしまいました。

…が、おそらくガレにとってそれは「再現」などではなく、
ガラスの技法の新しい可能性をひらくための
一つのヒントに過ぎなかったのだろうと思います。


ガレ作品の真骨頂が見られるのは、
主にⅢ〜Ⅴ章にかけて展示されている作品群。
特に90年代後半から最晩年にかけての
植物や生物たち、そしてポエジーそのものを
ガラスの形態に落とし込んだかのような物体。

作品は次第に重く、暗くなり、
形態の輪郭はぼやけていきますが、
作品としての強さはますます強くなり、
まだ形にならない生命のような曖昧模糊とした力があります。



展覧会の一つの結論は、
「ガレの究極」は「ガラスで作られた彫刻
ということではないかと思います。

ここで「彫刻」とは単なる三次元の造形物をいうのではなく、
真に芸術的であるもの、
人間の根源的ななにかに触れるもの、
すなわち「命ある形」のことを指すのだろうと私は感じました。


実用性と結びついたガラス器という工芸作品。

伝統的には、
絵画や彫刻などの「ファイン・アート」とは区別され、
一段低いものと考えられていて、
ガレの作品への評価も当初そのようなものだったのかもしれません。


しかし、ガレはそのような区別はやすやすと飛び越えて、
ガラスにしか表現できない方法で、
生命そのものを表現してしまったのです。


動植物への深い深い関心と、人の心への繊細な感覚とが、
これほどインパクトのある、存在感のある形態へ
現実化することがあるでしょうか・・・?


おそらくガレはその作品によって、
当時の形骸化した「大芸術」の
革新すらおこなってしまったかもしませんね。


***


ガレの生きた時代性を背景としつつ、
時代との関わりでガレ作品を理解するというよりも、
ガレ自身の内面に降りていき、
その目から世界をみることで、
芸術家の創造の根源に迫るようなアプローチを感じました。

深い印象を残す展覧会でした!




サントリー美術館
オルセー美術館特別協力 生誕170周年 エミール・ガレ
2016年6月29日(水)~8月28日(日)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_3/display.html

(展覧会企画・構成 土田ルリ子さん サントリー美術館学芸員)







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展覧会レビュー 国立西洋美術館《カラヴァッジョ展》


上野の国立西洋美術館で開催中の
《カラヴァッジョ展》の感想です。


***


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
(1571年ー1610年)


その天才によって若くして名を挙げながらも、
殺人を犯して逃亡、
修道士となりながら、その激情によって罪を重ね、
恩赦を請う旅の途上で疫病で倒れた、
その劇的で短い人生。

ヴィルトゥオーゾを誇示して
古典古代の伝説の画家に自らをなぞらえ、
宗教的な主題に生身の肉体を持ち込み、
画面にこの世の光をもたらした、
絵画の歴史を変えた男。

誰しもの記憶に残る伝説の画家の展覧会。
カラヴァッジョの凄さ、みせつけられました。
必見です!


【この展覧会の特徴】

カラヴァッジョの真筆11点と共に、
彼からその明暗法を受け継いだ、
カラヴァッジェスキ」とよばれる人たちの作品が、
イタリアを中心に、ヨーロッパ各地から集められています。


展覧会の構成は、下記のようになっています。
Ⅰ.風俗画:占い、酒場、音楽
Ⅱ.風俗画:五感
Ⅲ.静物
Ⅳ.肖像
Ⅴ.光
Ⅵ.斬首
Ⅶ.聖母と聖人の新たな図像


Ⅰ〜Ⅳ、Ⅶは絵画のジャンル、
Ⅴは技法的側面、
Ⅵは特定の行為の描かれ方、と、
いくつかの違った切り口で構成されている点が
面白いところです。


各チャプターごとに、
カラヴァッジョの作品Ⅰ〜2点の展示があり、
あわせてカラヴァッジェスキの作品が数点並びます。

カラヴァッジョの出品作はヴァリエーションに富み、
カラヴァッジョの最初期の風俗作品(《女占い師》)、
ローマの有力者に見出されて名を挙げた時期
卓越した描画力を見せるどこか古典的な作品
《トカゲにかまれる少年》《バッカス》)、
肖像画《マッフェオ・バルベリーニの肖像》)、
逃亡後、深い闇のなかで展開される奇跡的瞬間を描いた
内省的な印象すら与える宗教画題《エマオの晩餐》)、
どこにでもいる普通の人の風貌で描かれた聖人
《洗礼者聖ヨハネ》)など、
カラヴァッジョのいくつかの特質があぶり出されるチョイスです。


一方、カラヴァッジェスキたちの作品ですが、
彼らがヨーロッパ各地にちらばっていたことを示すように、
イタリアそのほか、フランス、スペイン、
ネーデルラントなどの画家達の作品を見る事ができます。

単なる模倣から、
その表現形式を自家薬籠中のものにした画家まで、
カラヴァッジョが後世に残した影響の片鱗を
かいまみることができます。


本展覧会のユニークな点のひとつは、
カラヴァッジョについての歴史史料
多く出展されているところ。
私は手書きの文字は読めませんでしたが、
展示された裁判の記録などに
カラヴァッジョ自身の言葉や行動についての
直接的な証言が残っているのです。
激昂しやすく、けんかっぱやい、
アウトロー的性格が生々しく迫ります。


【私のみどころ】

当然、今回の目玉はカラヴァッジョのオリジナル作品です。
私は実物を見て、
少しカラヴァッジョ作品の印象が変わりました。


カラヴァッジョといえば、
そのドラマティックな「明暗法」が有名です。

スポットライト的な光と闇に沈む背景と細部。

図版でしか見ていないと、
あとに続くカラヴァッジェスキの作品の印象も相まって、
(例えばジョルジュ・ラ・トゥールなど)
その明暗の対比は強烈で、
明部ははっきりとした白い面をつくり、
暗部はほとんどシルエットに近いぐらい暗いと思いがちです。

しかしオリジナルを見ると、カラヴァッジョの光の表現は、
もっとずっと繊細なのだと気づきます。

その明暗法が際立つ《エマオの晩餐》も、
基本は、自然光。

背景が暗く、
光のくる方向が完全に一方向である点は
確かに人工的ですが、
この絵の主題である、
「死んだキリストが弟子の前に現れる奇跡」、
あるいは「復活したキリスト」が
不自然に強調されることはありません。

そこには決して強烈な光はありません。


実物から知ることができることがもう一つあります。

それは、
カラヴァッジョはなによりもまず、
ヴィルトゥオーゾ(卓越した技)の人なのだということ。


画中の最も暗い部分でも、
人物や物の描写は、決して省略されることはなく、
的確すぎる描写で丁寧に描き込まれています。

この点は、同じような画風ののちの作家と
一線を画するところかもしれません。


そんなカラヴァッジョの作品において、
一部分が強調された印象を与えるのは、
背景がほぼ、暗褐色に覆われているからでしょうか。

《ナルキッソス》《エマオ》《法悦のマグダラのマリア》
などに顕著ですが、
暗色が画面の半分を占めており、
人物は残りの半分の中に収められています。
人物(達)の動きと重みのある暗色がバランスします。

描き込みの細かさの割に簡潔に見えるカラヴァッジョ作品と
カラヴァッジェスキたちの作品との差は
こういうところにもみられます。


描写の緻密さと省略、
繊細さと大胆さ、
北方的な細密さとイタリア的な明瞭さ、
なによりも新時代を感じさせる写実性と内面性。

カラヴァッジョに流れ込み、
カラヴァッジョの表現からほとばしり、枝分かれする
西洋絵画の歴史がみえてきます。


***


本展はなによりも、ヨーロッパ各地にある
11点ものオリジナルを同時に実見できる点で貴重です。

絵画作品を見慣れている人も見慣れていない人も、
感嘆すること必至。
ぜひ足を運んでほしい展覧会です。


国立西洋美術館
カラヴァッジョ展

2016年3月1日ー2016年6月1日
http://caravaggio.jp/index.html

(展覧会監修者 ロッセッラ・ヴォドレ氏、川瀬佑介氏)







 
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」鑑賞

原題 FINDING VIVIAN MAIER

2013年 アメリカ  83分
監督 ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル


オススメ度 ★★★★★(あの写真を大写しで見られるだけでも価値あり)
エンタメ度 ★★★☆☆(ある意味スリリング)
芸 術 度 ★★★★☆(ハッとする写真たちを堪能)
完 成 度 ★★★☆☆


***




これは、1926年に生まれ、2009年に亡くなった
ある無名の写真家に迫るドキュメンタリー映画。

ヴィヴィアン・マイヤーという希代の才能をもつ女性が、
住み込みナニーをしながら、
10万枚以上の写真を撮りつづけていたのだ。
公には一度も発表することなく・・・。

彼女の写真が、ネガフィルム(negatives)から現像され、
世間の注目をあつめたのは、彼女の死後。

2007年に、
今回の映画の監督の一人であるジョン・マルーフが、
自分の家の近所のオークションで、
ヴィヴィアンのネガフィルムを大量に落札したのがことの発端。

マルーフがこの魅力あるネガの作者を
本格的に探しはじめたのは、その2年後。

彼がヴィヴィアンの消息をとらえたそのとき、
すでにヴィヴィアンは世を去っていた。
しかも、ほんの少し前に・・・。


***


この映画は、マルーフが、
ヴィヴィアンの人生と関わりのあった
100人余りの人に会って聞き取りをし、
過去の国勢調査や家系探索の専門家を使って、
ミステリアスウーマン(自称)=ヴィヴィアンを
finding(探して、見つける。発見する。)する物語である。


ヴィヴィアンにはまるで身寄りがなかった。
非常な秘密主義者で友人もいなかった。

この謎の写真家がどんな人間だったのか・・・?
彼女の作品はどうやって生まれたのか・・・?

発見者マルーフの徹底したリサーチぶりは
この映画の見どころでもある。


***


マルーフを駆り立てるものは、
ひとつには彼女の写真の魅力だが、
もうひとつは、
彼女の才能とその貧しい人生とのギャップなのだろう。

だれでも疑問に思うのは、
なぜ彼女は一度も自分の写真を発表することをしなかったのか、
ということだ。

あれだけの才能があり、
多分、自分でもそのことは分かっていたはずだが、
なぜ彼女は写真を発表しなかったのか?

・・・その理由はわからない。

映画の中でマルーフは、その一つの要因として、
彼女に自分で現像する技術がなかったからではないか、
と推測している。
理想的な現像の技術者を求めていたことは分かっているが、
もしかしたら、コンスタントにそれを依頼するだけの
お金がなかったのかもしれない。

だが、映画を見ての私の想像にすぎないが、
きっと彼女には恐れがあったのだろうと思う。
強い強い怖れが。

彼女が同じだけの才能のある男性だったら、
間違いなく世にうって出ただろうと思う。
・・・しかし、彼女は女性だった。

いくつかの証言があるように、
ヴィヴィアンには男性嫌悪(あるいは恐怖)があった。
(過去にトラウマ的出来事があったらしい)

女性が、・・・というより、
「ある人」が社会にうってでて社会の注目を集めようとするとき、
その人は、社会の中枢を占め、
経済活動のマジョリティを形成する男性たちと
何らかの関わりを持たざるを得ない。
まずは彼らのジャッジに耐えなければならない。

性的な偏見もまだまだ強い中で、
それは公正な審判となっただろうか?

そもそも、芸術家にとって
良しにつけ悪しきにつけ「評価」を受けることは、
(創作の根源を規定するものではないにせよ、)
ものぐるおしいものである。

それでも、己の中のある確信をもって
自分の作品を世に問うのが「芸術家(近代的な)」なのだからこそ、
私たちにはヴィヴィアンの行動が不可解に感じられるのだが、
逆にいえば、ヴィヴィアンの恐怖は、
それ以上のよほど強いものだったのだとも考えられる。

それに加えて、聡明な彼女は、
自分の貧しい身分やエキセントリックな性格を十分自覚していただろう。
物見高く表面的な世間一般の判断基準も身にしみて分かっていただろう。

彼女はどうしてもそういう場に足を踏み出すことができなかった。

ときに偽名を使い、「私はスパイなの」と言っていた彼女。
だれにも正体をつかませたくない、というのは、
根本的に自分自身を肯定することができない人間がすることだ。

とうてい「マス」の中に自分をさらすことなどできない。



***


ともかくもヴィヴィアンは、その優れた才能を
社会的な関係と結びつけることが出来なかった。

彼女はそのまま亡くなってしまったけれど、
死後、彼女の心は掬い(救い)とられた(かもしれない)。

この映画の一番救われるところだ。

ヴィヴィアンの写真を解説するのは、
ジョエル・マイロウィッツ(Joel Meyerowitz)という写真家。
ヴィヴィアンと同じ「ストリート・フォトグラファー」の一人。

ヴィヴィアンの写真について、
深く理解し、的確に語るマイロウィッツの言葉。

正確には覚えていないが、彼はこのようなことを言う。

写真には、それを撮った写真家が、
映っている人間をどのようにとらえたか、どのように理解したかが写る。
ヴィヴィアンの写真には、人に対する思いやりが感じられる



ヴィヴィアンは当時の社会としては相当変わった女性だった。

政治的問題に興味を持つ一方、
猟奇的な事件に強い関心を持っていて熱心にスクラップした。

自分の殻に閉じこもり、
人にあわせて生きることができなかった。
場合によっては、ナニーという立場を利用して、
子供に対してひどいことをする人間でもあった。

でも、彼女が片時も離さなかったカメラから生みだされた写真は、
彼女のいびつさではなく、
彼女の人間と社会に対する深い理解を映し出していた。


作品が、芸術家のパーソナリティと
どれだけの関連性をもっているものなのか、
正直、私にはわからない。

「優しい」絵を描く人が優しく、
「崇高な」絵を描く人が崇高な人格を持っているのか、
私は知らない。

だが、社会のほとんど底辺で、
心に苦しみをもって生きたヴィヴィアンの見た・感じたなにかが、
彼女しかもたない特別なアート(技)をもって表現されたとき、
それは人の心をうつ普遍的ななにかであった。

この映画は、「芸術」の
そういう不思議な本質をかいまみせてくれる。


***


この映画にちょっとした難癖をつけるなら、
発見者マルーフの「プロモーション(販促)」的な部分が、
ちょっと鼻につくときがあること。
なまなましい野心が出過ぎているというか。
もちろん彼の功績はすごいし、
ヴィヴィアンを認めようとしない
エスタブリッシュに対する反感はわかるのだけど・・・。


この映画が製作されたのは、2013年ということなので、
その間にヴィヴィアンの研究も大分進んでいるもよう。

20世紀アメリカのアートを考える上で、
非常に面白い(interesting)人物発見の映画。
とても意義ある作品だと思う。


公式HP
http://vivianmaier-movie.com/

マルーフが運営する下記サイトにヴィヴィアンの略歴などあり。
PORTFOLIOSから作品が多数みられます。
http://www.vivianmaier.com/





 
思い出すことはつらく、しかし忘れることはもっとつらい



映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」鑑賞

原題 Woman In Gold

2015 アメリカ・イギリス 109分
監督 サイモン・カーティス


オススメ度 ★★★★★(美術史に関心あれば必見!)
エンタメ度 ★★★★☆(訴訟や歴史の話だが、わかりやすい)
芸 術 度 ★★★☆☆(追憶シーンがすばらしい)
完 成 度 ★★★☆☆



300px-Gustav_Klimt_046.jpg


”オーストリアのモナリザ”とすら称されたその絵画を
人は長く、「Woman In Gold(黄金の女性)」と呼んできました。

肖像画であるにも関わらず、
リザ・デル・ジョコンダのようにその名で呼ばれることもなく、
その名は忘れられてきました。


歴史のある時点で、彼女から剥奪された名前。

クリムトの前でポーズをとったその人の名は、
アデーレ・ブロッホ=バウアーといいました。


夫であるフェルディナント・ブロッホ=バウアーは、
ユダヤ人の実業家で、クリムトをはじめとする芸術家のパトロン。
アデーレは、ウィーンの芸術家サロンの女主人でもありました。

この裕福なユダヤ人の一族の運命が一転したのは、
1938年、ナチスによるオーストリア併合(アンシュルス)後のこと。

ユダヤ人迫害がはじまると、他のユダヤ人所有の財産と同様、
この絵もナチスによって没収されてしまいます。

この絵は、ナチス高官の手にわたったとされますが、
その際に、ユダヤ人をモデルにしていたということを隠すために、
ただ、「黄金の女性」と呼ばれるようになったのだとか。


戦後、この絵画は、オーストリア国の所有となります。
その根拠は、「アデーレの遺言」に基づくとされていました。
1925年に亡くなった彼女は、遺言に、
自分の死後は、本作品をオーストリア国に寄贈したいと書いていた、
というのです。


この映画は、アデーレの姪、
マリーア・アルトマン(Maria Altmann 1916 – 2011) が、
姉の死をきっかけに、
かつておじの財産だった絵画の所有権を確認しようとしたところから
話がはじまります。

折しも、オーストリアでは、1998年に、
ナチスによってユダヤ人から没収された芸術作品の返還法が
成立していました。

まだ駆け出しの弁護士とともに、
オーストリア政府との交渉にのぞむマリーア。

彼女はそのときすでに80歳を超えていました・・・。


***


以上のように、この映画は、
「アルトマン夫人vsオーストリア政府の訴訟」を筋書きとしており、
その部分だけでも、
本当に守るべき「国の誇り」とはなにかを問う、十分面白い映画です。

しかし、この映画が人を感動させるのは、
この映画の核心が違うところにあるからではないでしょうか?


私は、この映画は、
戦争を生き残った者の記憶をテーマにしているように思えます。

事実、映画の中でも、追想をめぐる場面がもっとも美しく、
そして、もっとも印象的です。


アルトマン夫人は、ナチス占領下のウィーンから亡命し、
アメリカに渡りました。
そしてその後、戦争がおわってから、
80歳をすぎるまで、一度も祖国にもどったことはありませんでした。

しかし、政府との交渉のために、彼女がはじめて祖国にもどり、
かつて歩いた通りを踏みしめ、かつて我が家であった建物を眺めた時、
一瞬にして、
戦争前の幸せな生活が手に取るように鮮やかによみがえってきます。


彼女の記憶は凍結されていたのです。


踏み出す一歩ごとに、見るものに触発されて、次々に展開される記憶。
場所にまつわる記憶の再現がとても印象的です。


まだ、マリーアが小さく、アデーレが生きていたころの、
ウィーンの芸術サロンの様子。
美しくも悲しげな叔母アデーレとの思い出。
戦争の暗雲を感じさせつつも幸福の絶頂だったマリーアの結婚パーティ…。


ブルジョワジーの富と洗練の極地でもあった
ブロッホ=バウアー家の華麗さの表現は、
特に、目を見張るものがあります。



フラストレーションがたまるオーストリア政府との交渉のさなか、
そしてそれに続く訴訟の間も、
マリーアの記憶は、歴史の順を追って進みます。

ナチスの侵攻と激しくなるユダヤ人差別への恐怖。
おそろしい逃亡の顛末・・・。

もともと彼女をとりまいていた
豊かで、知的で、文化的教養に満ちた世界が急激に変化し、
あらゆるものが剥奪されてしまった。


話が進むにつれて、
亡命以降、彼女がしまい込んでいたものが
徐々に徐々にたぐり出されてきます。


思い出すにはあまりにつらい思い出が、
しかし、忘れてしまうにはあまりに愛しいものと固く結びついている。


困難な訴訟の帰趨に関心がいきがちですが、
この映画は、ひとりの戦争生存者が、
心の深層に、より深くにしまい込んでいたものにたどり着き、
死者たちに、自分が生き残ったことの許しを請う、という
過酷な追想の記録でもあるのです。


映画の最後のシーン。
ありえなかった、そうであって欲しかった美しい光景で映画は終わります。

マリーアが死ぬ直前には、
この映画の最後のような幸福な追想が訪れたでしょうか・・・?
そうであってくれたらと思わざるを得ません。



***


アルトマン夫人を、
非情な歴史を生きぬきながらも、オシャレで、ウィットにとむ、
矜持ある女性として演じたヘレン・ミレンもすばらしいですが、
若手弁護士を演じるライアン・レイノルズのボンクラ顔もよかったです。
(でも本来は、もっとイケメン俳優っぽいですね。)


作品のプロブナンス(来歴)をめぐる物語そのものが
映画になったという点でもユニークな作品です。



なお、本映画の題材となったアデーレの肖像は、
現在、ニューヨークのノイエ・ガレリアの所蔵となって、
一般公開されています。

http://www.neuegalerie.org/home






 
展覧会review《英国の夢 ラファエル前派展》

こんにちは如月東子です。

今日は、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の
《リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展》
鑑賞の感想です。


***


リバプール国立美術館(National Museums Liverpool)は、
イギリス、イングランドはリバプール(とその周辺)にある
7つの美術館・博物館の集合体です。

19世紀、リバプールは海運貿易で栄え、
ロンドンに次ぐ「帝国第二の都市」とまで呼ばれました。
そこで財を成した商人らが蒐集した美術品を基礎に出来上がっているのが、
リバプール国立美術館です。

今回の展覧会の出品作品は、
リバプール国立美術館のうちでも、
ヴィクトリア時代の作品やラファエル前派のコレクションで
世界的に有名な下記の3館から集められました。


ウォーカー・アート・ギャラリー(Walker Art Gallery)
http://www.liverpoolmuseums.org.uk/walker/about/history/1819-1871.aspx
レディ・リーバー・アート・ギャラリー(Lady Lever Art Gallery)
http://www.liverpoolmuseums.org.uk/ladylever/index.aspx
サドリー・ハウス(Sudley House)
http://www.liverpoolmuseums.org.uk/sudley/index.aspx


3つの美術館から、65点の作品が来日しています。


展覧会の構成は以下のとおりです。

Ⅰ.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
Ⅱ.古代世界を描いた画家たち
Ⅲ.戸外の情景
Ⅳ.19世紀後半の象徴主義者たち




【この展覧会の特徴】

上記の章立てからも分かりますが、
展覧会タイトルのようなラファエル前派メインの展覧会ではありません。

ガブリエル・ロセッティエヴァレット・ミレイ
そしてホルマン・ハントらが、
ラファエル前派を結成したのは1848年。
この美術グループは、1850年代半ばには解散します。

しかし、本展覧会で展示されている作品はほとんど1855年以降の作品で、
初期ラファエル前派の作品といえるものはありません。


むしろ本展覧会は、
19世紀後半〜20世紀初頭のイギリス絵画の潮流全体を
おおまかに概観するような内容となっています。


ラファエル前派の特徴である
ロマン主義文学的嗜好のほか、
古典古代への傾倒オリエンタリズム
実証主義科学主義
そして世紀末の象徴主義・・・。

以上のようなイギリス絵画の様々な側面が見られますが、
古典古代の世界を実証的な裏づけをもって描いた
ローレンス・アルマ=タデマ
やはり古典古代の世界を描くことを得意とし、
国内外で名声を博したフレデリック・レイトン
そして、かつてはラファエル前派の中心にいて、
やがてアカデミーの重鎮となったE. ミレイ
作品数が多いのが特筆できるでしょう。


一方で、ラファエル前派の、特に後半の時期についてもめくばせがあり、
気づきを得られます。
「ラファエル前派」の運動を下記の3つの時期に区切り、
それぞれの特徴的な作品を解説・展示していて
半世紀にわたるその変遷がわかりやすく伝わってきました。

Ⅰ.結成時(ロセッティ、ハント、ミレイ)
  ※当時の作品はきていない
Ⅱ.19世紀末の象徴主義的時期(バーン=ジョーンズ)
Ⅲ.20世紀の復興の時期(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス)



このなかで、有終の美をかざるウォーターハウスは、
力量ある画家だと思いますが、
どこかしら退廃的で、画面に抜け感がなく(閉じ込められた感じがある)、
1920年にさしかかろうという時期に描かれたとは思えない
前時代感が印象的でした。



【私のみどころ】


1.エドワード・バーン=ジョーンズ
  《スポンサ・デ・リバノ》(1891年)

3メートル以上ありそうな非常に巨大な作品ですが、
紙にグアッシュ(不透明水彩)で描かれています。

2012年に兵庫県立美術館で、
《バーン=ジョーンズ展〜英国19世紀に咲いた華》
という展覧会をみましたが、
正直、私は彼の作品はあまり好きではありません。

美的趣味はおいておいても、
特に、彼の油彩画を描く技術の未熟さが気になってしまいます。
作品の規模が大きくなると、その点が目立ちます。

ただ、構図の独創性や世界観の構築性は高く、
画集等でみると実物よりも良い絵に感じられるため、
バーン=ジョーンズが現代に生まれていれば、
CG技術などを使うことで、もっと能力を発揮したかもしれない、
と想像していました。

上記の作品は、巨大な絵ですが、
グアッシュという、油彩に比較すると扱い易い画材を用いているため、
技術的な拙さが(比較的)気になりません。
バーン=ジョーンズの素晴らしさがわかる作品ではないでしょうか。

兵庫県立美術館《バーン=ジョーンズ展〜英国19世紀に咲いた華》
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1209/index.html



2.Ⅱ章の画家達の作品

ローレンス・アルマ=タデマ、フレデリック・レイトン、
チャールズ・エドワード・ペルジーニ、
エドワード・ジョン・ポインター



アカデミーで高く評価された
筆跡を見せないなめらかなマチエールや
印象派以降であることを感じさせる鮮やかな色彩、
こちらの視線に対し、惜しみなく「見られる」華やかな女性達。

彼らの作品は細密でおそろしく美しく、
その高い技量でもって、
ヴィクトリア朝の闇をすっぽりと覆い隠しているようです・・・。


***


「ラファエル前派」の作品を目当てに行くと
すこし期待はずれかもしれませんが、
19世紀後半のイギリス絵画の様相が
バランスよく見られる展覧会ではないかと思います。


小さい展覧会なので、気軽に足をはこべると思いますよ。

Bunkamura ザ・ミュージアム
2015年12月22日〜2016年3月6日

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_raffaello/



【巡回】
新潟市美術館 2015年7月19日(日)~9月23日(水)(終了)
名古屋市美術館 2015年10月3日(土)~12月13日(日)(終了)
山口県立美術館 2016年3月18日(金)~5月8日(日)

【参考】
リバプール国立美術館
http://www.liverpoolmuseums.org.uk/






 
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