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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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「風景」からみえるもの(その2)〜〈風景画の誕生〉展

こんにちは如月東子です。

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の
〈風景画の誕生〉展の感想の続きです。

(前回の記事はこちら↓)
http://kisaraghitouko.blog.fc2.com/blog-entry-89.html


【17世紀以降〜独立した風景】

さて、17世紀半ば、
ついに風景は「物語の背景」という役割から解放されて、
それ自体が鑑賞の対象となっていきます。

言いかえれば、それまでは、
独立して風景のみを描くことには商品的な価値はなかった、
ということもできるでしょう。


独立した風景画は、
1648年に国際的に独立を承認された
オランダ(ネーデルラント連邦共和国)のもとで
はじめて登場したとされています。

カトリシズムから解放され、
王を頂かない「市民」という新しい階級が芸術の担い手となったとき、
その家を飾るために選ばれた画題の一つが「風景」なのです。


今回の展覧会で
独立した「風景画」としてきている作品は
それほど多くはありません。
また、
黄金時代17世紀オランダの風景画がたくさんきているかと思いきや、
フランドル、イタリア、スイス、東欧など、
各地域で活躍した画家の様々な作品が展示されています。


オランダ風景画の基礎を築いたといわれる
ヤン・ファン・ホイエン
オランダ風景画を代表するヤーコプ・ファン・ロイスダール
作品がきているのが注目でしょうか。

ホイエンは
《メルヴェデ川越しのドルドレヒトの眺望》という海景、
ヤーコプ・ファン・ロイスダールは、
《渓流のある風景》という作品がきています。

正直いずれもあまりめだたない作品だと思います。

特にロイスダールの作品は、
サイズも小さく、少し単調な感じの作品ではあります。

何の変哲もないどこにでもあるような光景に見えますが、
実はこの絵は、当時流行っていたスカンジナビアの光景なのだそう。
つまり、往時のオランダ人にとっては、
異国情緒あふれる光景だったわけです。

しかもロイスダールは、
一度もスカンジナビアには行ったことがないそうですから、
そもそも観念の中にしか存在しないスカンジナビアの光景なわけです。


そのほかにも、「どこかイタリアらしい風景」とか、
実際に存在するけど、
そこに行ってもその光景を観ることができないぐらいに
理想化された「名所」とか・・・。


…スカンジナビアの風景を壁にかけていた人たちは、
一体どういう気持ちでこれを飾っていたのでしょうか?


私は17世紀の風景画のことを考えていて
思い起こすものがありました。
それは、現代日本におけるカレンダーです。
特に、日本や外国の様々な風景が写し取られたもの。
内外の名所、
水煙を上げて流れ落ちる滝、広々としたラベンダー畑、
紅葉する渓谷、異国の尖塔…。

強い主張やハイセンスさはないけど、
異国の雰囲気を少しだけ部屋に取り込んだり、
四季を感じさせたり、リラックス感を与えたりする。

一方で、「日本の美しい四季」のカレンダーは
「美しい日本」「自然豊かで四季のある日本」というイメージを
しらずしらずに人々の心にしみいらせるのです。


風景画というのは、
多くの場合(少なくとも明示的には)
強いメッセージや物語があるわけではありません。
でも、だからといって、
風景画は無色透明な存在ではありません。

なんの主張もないようにみえて、
「観念」が入り込むのが風景画でもあります。

だからこそ、
なぜこんな光景を選んで描いたのだろう、
なぜこんな光景が人気を博したのだろう、
と考えることが面白いのです。


それぞれの作品の来歴は
カタログをみてもあまりわかりませんでしたが、
自分がこの絵を購入した一人のオランダ市民であると想像し、
どんな部屋にどんな理由でこれを飾ろうと思ったか考えてみると、
地味な絵もけっこう楽しめるのではないでしょうか。

eliga室内
Pieter Janssens Elinga
《Interior with Painter, Woman Reading and Maid Sweeping》(1668)
Städelsche Kunstinstitut und Städtische Galerie


有名な画家の作品が多い展覧会ではありませんが、
それぞれの画家は、
当時、風景画家としての評価を得ている人たちだったようです。

ビッグネームはあまりありませんが、
ちょっと毛色の変わった作品が楽しめる
味わい深い展覧会ですよ。
ぜひぜひ足をお運び下さい!


Bunkamura ザ・ミュージアム
〈風景画の誕生〉展
2015年9月9日−12月7日
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/index.html
【巡回】
2015年12月19日~2016年3月21日 静岡県美術館
2016年4月2日~6月12日 石橋美術館



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「風景」からみえるもの(その1)〜〈風景画の誕生〉展

こんにちは如月東子です。
今日は、渋谷はBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の
〈風景画の誕生〉展の感想です。


こちらは「風景画(landscape painting)」の誕生と発展
をテーマにした展覧会。

ウィーン美術史美術館所蔵作品の中から選ばれた
1500年頃から18世紀初頭ぐらいまでの作品を通して、
西洋における「独立した風景」誕生の過程を追う、
興味深い展覧会になっています。


***


西洋の「風景画」は、
一見したときの美しさや分かり易さで、
日本人にも「なじみ深い」と思われている分野です。

特に、色彩的にも鮮やかな
印象派(19世紀後半)以降の風景画は人気が高いもので、
そのイメージを思い起こす人も多いかもしれません。

あるいは、
ターナーのダイナミックな情景、
コンスタブルののどかな郊外の景色…、
「風景画家」として名高い人たちが描いた
様々な画面が頭をよぎるかもしれません。


しかし、今回Bunkamuraにきているのは
そういう絵画ではありません・・・。

褐色に覆われた海景や、
妙に青々とした深い森、
急流ながれる山岳に、さみしい荒野。

小さく人物がいる場合が多いけれど、
なにをしているのかよくわからない。

しかも、東洋の伝統にある「山水画」のように
深遠な雰囲気があるというわけでもなく、
「花鳥画」のように華やかでもない。


17世紀オランダで登場したといわれる
独立した「風景画」はなんだか地味。
その成立過程で示される作品たちも
ちょっと小難しい「宗教画」。


初期の「風景画」はどことなくピンと来ない。
どこをどう見たらいいかよくわからない…。


今回の展覧会を一見しただけだと、
そんな気がする人も多いのではないでしょうか。

でも、ピンと来ない、ということは、
そこに今とは違う感性が潜んでいる、ということに
ほかなりません。


ルネッサンスの模索の時期を経て、
風景画というジャンルが確立する17世紀に至まで、
伝統の形式を受け継ぎながら、
しかし、現代まで続く、
新しい自然への眼差しが胎動しているのを、
まさにこの展覧会でみることができるのです。


展覧会の構成は次のようになっています。

第1章 風景画の誕生
 -第1節 聖書および神話を主題とした作品に現れる風景
 -第2節 1年12ヶ月の月暦画中に現れる風景
 参考 時禱書と月暦画の世界
 (木島俊介氏所有のファクシミリ版の展示) 
 -第3節 牧歌を主題とした作品中に現れる風景
第2章 風景画の展開
 -第1節 自立的な風景画 
 -第2節 都市景観としての風景画


「風景画」、
すなわち「風景そのものが画題になった絵画(タブロー)」は、
西洋においては、17世紀にならないと誕生しなかった、
と言われます。
(もちろん素描にはたくさん描かれていますが)

でもだからといって、それ以前に「風景」がタブローに
描かれなかったかというと、そんなことはありません。

人物達が織りなす物語の背景として、
多くの場合、豊かな風景が描かれているのです。


西洋絵画の「風景」表現の流れを少し補いながら、
2回にわけて展覧会のみどころを考えてみたいと思います。



【16世紀まで〜背景としての風景】

16世紀当時に描かれうる画題であった
聖書や神話の物語、聖母子や聖人、
あるいは肖像画の背景として考えうるのは、
 ①無地(黒やグレーが多い。15世紀以前は主に金地)
 ②建物内部
 ③風景
のパターンがありますが、
15世紀以降、③風景が断然増えてくるように思います。


展覧会の冒頭にあるのは、今回の最も古い作例、
1500年頃にイタリアで描かれた聖母子像です。

mainardi(帰属)聖母子
バスティアーノ・マイナルディに帰属
《二人の天使のいる聖母子》(1500年頃)


「授乳の聖母」の後ろの窓枠からは、
囲われた家の庭とその向こうに広がる
景色が見えます。

川があり、建物があり、山があります。
次第に遠ざかる光景は、緑から青へと移ろいます。

遠景にいくにしたがって色が青っぽくみえるという、
いわゆる「空気遠近法」を利用した描き方ですが、
このような風景描写は1400年代の前半に
ネーデルラント地方(現在のベルギーあたり)で生まれ、
15世紀中にイタリアでも普及した様式です。

(ところで、よく
「空気遠近法はレオナルド・ダ・ヴィンチが発明した」と言われますが
(あるいは理論的に書き記したのは彼が初めかもしれませんが)、
実際には、それ以前の画家がずっと前から画面に定着させ、
レオナルドも当初、それを踏襲していたように思います。
cf.レオナルド《受胎告知》ウフィツィ美術館)



ヤン・ファン・エイクを代表とするネーデルラントの画家は、
1420年頃から、板絵の上に、
突然驚くような自然描写を展開させました。

ルネサンスの本場とされる
15世紀初期のイタリアの絵画の風景は書き割り的で、
現在の目からみるとどうにも不自然です。

giottoエジプト逃避
ジョット《スクロヴェーニ礼拝堂壁画》

masaccio楽園追放
マザッチョ《ブランカッチ礼拝堂》


(風景に限りませんが)ネーデルラントの驚異的描写力は、
本展覧会の監修者木島俊介氏が指摘するように、
フランス・ネーデルラントに花開いた
時禱書や月暦画といった
写本芸術によって発展してきた方法なのでしょうが、
それはともかくも、ヤン・ファン・エイク
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
その次の世代のメムリンクといった画家の作品の背景には、
すでに様々な風景表現の萌芽がつまっています。

都市のパノラマ
eyckロランの聖母
Jan van Eyck
《The Virgin of Chancellor Rolin》(1435)
Musée du Louvre, Paris

緑あふれる丘陵
eyck子羊の礼拝
Jan van Eyck
《The Ghent Altarpiece: Adoration of the Lamb》(1425-29)
Cathedral of St Bavo, Ghent

荒々しい山岳地帯
eyckフランチェスコ
Jan van Eyck
《Stigmatization of St Francis》(1428-29)
Museum of Art, Philadelphia

荒野的前景
ロヒールentombment
Rogier van der Weyden
《Entombment of Christ》(1450)
Galleria degli Uffizi, Florence

穏やかな田園 
memling玉座の聖母子 memlingコインを持つ肖像画
Hans Memling
左《Madonna Enthroned with Child and Two Angels》(1490-91)
Galleria degli Uffizi, Florence》
右《Portrait of a Man with a Roman Coin》(1480 or later)
Koninklijk Museum voor Schone Kunsten, Antwerp

初期ネーデルラント絵画において、
画面全体に占める風景の割合はさほど大きくはありませんが、
その描写は細かく、
そのリアルさはすでに完成の域に達しているようです。


まずはここを出発点として、
その後、物語背景の「風景」が
どのように描かれるようになってきたか。
それを追ってみると、
その後の変化がわかりやすくなるような気がします。

まず、初期ネーデルラントの風景は、
緻密で、万遍なく手抜きがありません。
また、あくまで物語や聖人が画面の中心を占めています。


この伝統を引き継ぎながらも、
むしろ風景が主体であるような、
そんな印象を与える作品が登場しました。

風景画史に足跡を残すヨアヒム・パティニールです。

今回展覧会にきているのは、
《聖カタリナの車輪の奇跡》と言う作品。
patinirカタリナの奇跡

右手前の岩山を中心に、
遠い海景を含む広い範囲をパノラマ的に描いています。
主題となる聖カタリナの殉教物語は、
非常に劇的に描かれてはいますが、
風景全体の中ではごく小さく、
見る人の目はむしろ、
その背後に広がる港や城、遠い水平線に吸い込まれて行きます。


さて、ここまでの風景はどこかパノラマ的で、
人間が遠くから俯瞰している感じが強くあります。

でも、16世紀も半ばに生まれた
ヤン・ブリューゲル(父)の作品では、
自然はずっと身近になります。
特に、そこに身を置く人物達を内包する森林の表現は、
初期ネーデルラント絵画にはなかったものです。

《キリストの誘惑》は、
聖書にあるような荒野の風景ではありません。

janbrueghel1キリストの誘惑

様々な動植物が息づく深い森の中。
悪魔がキリストを誘惑しているのですが、
2人の間にはどこかしら親密さすら感じさせます。
不思議な絵です。


なお、今回作品はきていませんが、
この時期、ドイツで活躍した
アルブレヒト・アルトドルファーといった
「ドナウ派」も「風景画」の起源のひとつとされています。

altdorfer聖ゲオルゲ
Albrecht Altdorfer
《Saint George in the Forest》(1510)
Alte Pinakothek, Munich


さらにバロックに入ると、
「日常」が絵画の中に侵入し始めます。
卑俗な題材が、リアリティのある筆致で描き出されるようになるのです。

今回連作がきているレアンドロ・バッサーノが描く月暦画では、
自然の風景は、庶民が労働し生活する場そのものとなっています。


一方で、「理想的な風景」としての
牧歌的風景というものも登場します。

キリスト教の「楽園」のイメージと
古典古代(ギリシア・ローマ)の牧歌詩のイメージが
様々な光景を生み出しました。


偉大な風景画家のひとりとして数えられる
クロード・ロランなどは、
このジャンルを確立した画家の一人でしょう。

面白いのは、古典古代への憧れが、
「廃墟」のある光景をありがたがったことです。

rollainアポロン
Claude Lorrain
《Landscape with Apollo and the Cumaean Sibyl》(1645-49)
The Hermitage, St. Petersburg

それぞれの時代の人が
「理想郷」をどんな場所と考えていたのか、
「風景画」の中にはそんな願望も隠れています。



こうして時代を追ってみると、
初期ネーデルラントの中に萌芽していたさまざまな風景要素が、
時代を経るにしたがって
大きくなり、豊かになり、自然さを増していく、
そういう過程が見てとれるのではないでしょうか。


次回は独立した風景画についてみていきます。


Bunkamura ザ・ミュージアム
〈風景画の誕生〉展
2015年9月9日−12月7日
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/index.html
2015年12月19日~2016年3月21日 静岡県美術館
2016年4月2日~6月12日 石橋美術館





 
フィフティ・シェイズ・オブ・ブラック〜墨の煌めき


東京は丸の内にある三菱一号館美術館で開催中の、
〈画鬼暁斎ー幕末明治のスター絵師と弟子コンドル〉展を観た感想です。


***


河鍋暁斎は、
天保2(1831)年生まれ。
江戸から明治にかけて活躍した
当時の人気画家でした。

当初、歌川国芳に弟子入りしましたが、
その後、江戸時代に御用絵師として重用されていた
狩野派の一派に入門。

そんな出自を物語るような、
硬軟取り混ぜた暁斎の多種多様な画法や豊富な画題は、
本展覧会で存分に楽しむことができます。


彼はまた、日本の「近代建築の父」として有名な
ジョサイア・コンドルの絵の師匠としても知られています。

この展覧会では、
暁斎と日本文化の深い理解者であり、優れた紹介者であった
コンドルと暁斎との交流をイントロダクションとして、
暁斎の幅広い画業を概観する内容となっています。


展覧会の構成は以下の通り。

Ⅰ.暁斎とコンドルの出会いー第二回内国勧業博覧会
Ⅱ.コンドルー近代建築の父
Ⅲ.コンドルの日本研究
Ⅳ.暁斎とコンドルの交流
Ⅴ.暁斎の画業
  1.英国人が愛した暁斎作品
    ―初公開メトロポリタン美術館所蔵作品
  2.道釈人物図
  3.幽霊・妖怪図
  4.芸能・演劇
  5.動物画 
  6.山水画
  7.風俗・戯画
  8.春画 
  9.美人画


暁斎は、その生前は、
非常に人気のあった画家であったと言いますが、
そのあまりに幅広い画業ゆえに後世の評価が定まらず、
しばらく忘れ去られた画家となっていたのだそうです。

本展のセクションⅤでは、
時にはラフに、時には細密に、
観音様から春画まであらゆるものを、
自由に、思うがままに描きつくしたこの画家の、
しかし、それでもまだ片鱗にすぎない画才を
垣間見ることができます。


それぞれの画題に面白み、凄み、巧みさを
感じることができますが、
特に今回の作品群の中で、
出色の出来と思うのが、数々の動物画です。

《英国人画帖下絵》とよばれる下絵をもとに、
コンドルやブリングリーのために描いた、
30㎝角くらいの絹本の墨絵がありますが、
この質のものをこれだけ大量に描ききれるのかと、
あきれるくらいです。

描かれる動物は多岐にわたります。
暁斎の名を高めた鴉(からす)は言うに及ばず、
鯉、鷹、猿、鹿、木菟、猫、兎、蛙、蜥蜴…

あらゆる動物が、
現実以上の生身の迫力をもって、
観る者の前に迫ってきます。


それを実現させるのが、
(ほぼ)唯一の材料である「墨」なのですから、
驚きです。

墨色一つが変化(へんげ)して、
胸の毛となって柔らかく、
枝をつかむカギ爪となっては鋭く、
細く緻密な毛の流れを作ったかと思うと、
ただ一筆で、太い幹を黒々と描き出す。

時には淡く、時には暗く、
時にはかすれ、時には滲む。

鳥や動物だけではありません。
水中では、ふわふわふわふわと藻が漂い、
あらゆる姿態をみせて鯉たちが泳ぎ回ります。


墨一本で暁斎が描き出したいのは、
どうしたって「愛でられる」対象でなんかあり得ない
野生に生きる生き物たちの残酷で自由な姿。
それぞれが生き生きと、堂々と、その生命力を誇示します。

するどい鳴き声で人間を威嚇し、
お前らの世界のルールなどなにほどのものかと挑戦するような
挑発的で乾いていて力にあふれた鴉の眼差し。

彼らの目を通して人間を見つめ返すのは、
人智を超えた画「狂」、暁斎その人のような気がしてきます。

暁斎二羽の泊鴉に山水図
《二羽の泊鴉に山水図》(明治16年)


***


暁斎にとって幸いだったのは、
コンドルという弟子を持っていたことでした。

コンドルは日本独自の絵画表現や文化を高く評価し、
暁斎から、江戸以来の日本絵画の技法や考え方を
良く理解し、吸収しようとしました。

さらにコンドルは、自らが学んだことを細かく書き記し、
暁斎を優れた芸術家として西洋社会に紹介しました。

これはひいては、天才画家暁斎の画技(アート)を、
後世の私たちまで伝えた、ということでもあります。


他のお雇い外国人のように、
日本人を侮蔑することのなかったと伝えられるコンドル。

異文化からの視点をもちつつ、暁斎の絵画原理を理解し、
より普遍的な文脈に落とし込もうとするコンドルの試みは、
暁斎自身の創作意欲をかき立てたように思えてなりません。

暁斎はおしみなくコンドルにその技術を披露し、
作品を与えました。
上記の《英国人画帖下絵》なども、
コンドルと暁斎との交流の相乗効果によって生み出されたのかもしれません。


***


コンドルは優れた弟子であったと思いますが、
日本絵画表現において暁斎を超えることはありませんでした。

いくつか展示されているコンドル作品と暁斎作品を
比べてみていると、ふと、暁斎作品の特徴に気づきます。

その絹地(支持体)が
糊のきいたワイシャツのようにぱりっとし、
鈍い光沢を放っているのです。


(想像ですが、)
これは下地の効果ではないかと思います。
つまり、膠引きの効果です。

この鈍く光る整った下地のおかげで、
その上にのる墨や顔料もまた通常以上の輝きを放っているように
思われるのです。


その特徴は特に晩年の作品に著しく見られるように思います。

これは、描く技術自体を向上させつづけた暁斎が、
その効果をもっともっと高めようとしてあみ出した、
隠れた技のひとつのような気がします。

膠引きひとつで、これだけの効果が生み出せるということを、
暁斎はいつの時かふと気づいたのではないでしょうか。


もちろん、コンドルは一から暁斎に絵作りをならっているでしょうから、
おなじような方法で下地作りをしたはずですし、
また、晩年の暁斎が、みずから下地づくりをしたのかはわかりません。
あるいは、もしかすると修復の結果生まれた効果の可能性もあるかもしれません。


しかし、墨の色がこれほど輝きを見せるとは・・・。


このような地色の微妙な色彩や光沢は、
画集などでは表現できないものですから、
ぜひ実物を間近でご覧頂きたいポイントです。


***


展覧会最後、
《美人観蛙戯図》(明治前半)という作品があります。

江戸の形式的な美人画を離れた
リアリティある表情をした女性が縁側で夕涼みをしています。

しかし、ただの美人画ではありません。

庭先に向かう視線その先では、
蛙たちが東西に分かれて相撲大会の真っ最中。
《鳥獣戯画甲巻》に勝るとも劣らない描写っぷり。

女性は、別に驚くわけでもなく、
面白そうに勝敗の行方を見守ります。


このほのぼのとした、しかしシュールな光景。
現実と非現実の境界。
力量ある絵師の筆先からしか表現し得なかった光景。


画家暁斎のユーモアと自由さと巧みさが
すべて表現された作品で、展覧会はピリオド。


面白い展覧会でした。

暁斎美人観蛙戯図
《美人観蛙戯図》(明治前半)



残念ながら、
三菱一号館記念館での展覧会は9月6日までですが、
西川口駅近くにある河鍋暁斎記念美術館
その作品を見ることができるのではないでしょうか。
ぜひ足をお運び下さい。


〈画鬼暁斎ー幕末明治のスター絵師と弟子コンドル〉展
2015年6月27日~9月6日
http://mimt.jp/kyosai/about.html



公益財団法人河鍋暁斎記念美術館
京浜東北線 西川口駅西口
10:00~16:00 木曜休み
http://kyosai-museum.jp/hp/top.html



こちらもぜひ。
ジョサイア・コンドル『河鍋暁斎 (岩波文庫) 』




 
マンネリ化を拒否して老いた女ー〈ヘレン・シャルフベック展〉


こんにちは如月東子です。

今日は、東京藝術大学美術館で開催していた
〈ヘレン・シャルフベック〜魂のまなざし展〉の感想です。

Schjerfbeck SelfPortrait 1884
《自画像》(1884−1885)
Ateneum Art Museum

***


Helene Schjerfbeck(1862-1946)は、
フィンランドを代表する画家で、
19世紀半ばに生まれ、
第二次世界大戦が終わるまでの時代を、
己の絵筆一本で生きた女性です。

変遷の大きかった
19世紀後半から20世紀前半の
ヨーロッパ美術界にあって、
不自由な足をかかえ、辺境の地にいながら、
常に新しい動きに敏感なままで、
内面的に外面的に変化し続ける自らを
まっすぐに見つめ続け、
老いの果てまでキャンバスに跡づけて、
そして一人で死んでいった、
そんな女性の姿が
強く印象づけられるそんな展覧会でした


***


藝大美術館は、
3階と地下1階に展示スペースを持っていますが、
今回の展示は3階部分のみ。
しかし、作品数は84点あり、
最初期から死ぬ前年までをカバーしています。


展覧会の構成は下記のとおりです。

1 初期:ヘルシンキーパリ
2 フランス美術の影響と消化
3 肖像画と自画像
4 自作の最解釈とエル・グレコの発見
5 死に向かって:自画像と静物画



シャルフベックは幼いころから絵画の才能を発揮します。

11歳にしてフィンランドのアカデミーに入学を許され、
18歳(1880年)にして、奨学金を得て、
パリへ遊学することを許されます。

フランス時代のシャルフベックの絵画は、
独特の暖かみと朴訥さを感じさせるものながら、
当時流行のレアリスムの枠内に位置づけられます。

画家自身の失恋からの回復を重ねて描いたとされる作品
《回復期》(1888年)は、
明るい書斎に、芽吹いたばかりの鉢植えを抱えた少女の
あどけない表情が、なんとも魅力的な絵画です。

Schjerfbeck The Convalescent 1888
《回復期》(1888)Ateneum Art Museum


1890年にフィンランドにもどったシャルフベックは、
フィンランドのアカデミーで教鞭をとります。

この時期は、
様々な新しい表現方法を取り入れた、
ヴァラエティに富んだ作品群が魅力ですが、
それとは別にちょっと目を引くのが、
5点ほど並んでいる模写の作品です。

シャルフベックは、
古典的作品の少ないフィンランドの学生達のために、
デューラー、ホルバイン、テル・ボルフ、ベラスケス
などの名作の緻密な模写を行いました。
厳密に「古典技法」といえる作品とは思えませんが、
画面上にはオリジナルが精密に再現されており、
彼女が正確でかつ自由自在な表現力を持っていることが
みてとれます。

Schjerfbeck Copy of Holbeins painting Sir Richard Southwell 1886
《ホルバインの模写》(1886)
Ateneum Art Museum


1900年代に入ると、
細い線描が画面に目立ち始めます。
そのせいなのか、画力と観察力のある漫画家が
(例えば、五十嵐大介高野文子のような…?)、
一枚絵を描いたような印象を与えます。

Schjerfbeck Granny 1907 Schjerfbeck Girl on the Sand 1912
(左)《祖母》(1907)Ateneum Art Museum
(右)《砂浜の少女》(1912)Ateneum Art Museum

スケッチーでありながら、正確で的確。
なんといっても、「今っぽい」のです。

シャルフベックは、パリから帰って以降、
第二次世界大戦の戦火を逃れる44年まで、
フィンランドからほとんど離れなかったようですが、
ヨーロッパの最新の表現方法や
ファッションモードをぬかりなく取り入れていたようです。

シャルフベックの絵画は表現方法の宝庫です。
咀嚼力が半端じゃない。


(男性の?)「大画家」が、
本人は革新を続けているつもりで、
実際はマンネリに陥っていくのと違い、
彼女は死ぬまで、新しい表現方法を取り入れ続けました。

それ以前と違い、19世紀以降の(先端的な)画家は、
注文制作であってすら「描くべき型」をなくしてしまいました。
例えば、「聖母マリア」を描くにしても、
新しい作画上の課題をみつけ、
その図像に付与する意味を考え、
それを自分が描く意義のある、
世に「新しいもの」として提示する必要が生じてしまいました。

常に自分を更新していくのは力のいることです。
特に、すでに地位や名声を得ている人にとっては…。

20世紀初頭のフィンランドにおいて、
「女性」という社会的にマイナーな性に属しつつ、
しかし画壇に十分に認められた存在でありながらも、
彼女はその絵画を更新し続けました。

晩年の時期、懇意の画商に、
若い頃の作品を「最解釈」して再度描くよう依頼を受けた
シャルフベックは、喜んでそれを受け入れます。

それは、画家にとっては、
かつてのレアリスム的作品を
構図・形態・色彩といった
純粋に造形的な要素に還元する作業であり、
観る者にとっては、もとの絵の中に隠された
純粋な視覚的な要素が表れる瞬間に立ち会うことでもあります。


晩年のシャルフベック作品において
もう一つ忘れてならないのは、
その画面の変化が、
画家の内面の変化とそれに対する自己観察と
不可分に結びついていることです。

特に彼女の自画像は、
女が、
(当時において、生涯結婚せずに、
一人自立して生きた女が、)
日々自分の内面を観察し続けた
冷徹な記録です。

かつての美しさや活力を失いつつある自分、
「普通なら」持ちうるはずの「女の幸せ」を得ていない自分、
しかし一方で、
自立して生きるだけの能力を持つという自負。

それは、世間的な「幸せ」と自分の心の欲求、
そのほか様々な価値観の間で心を裂かれながら生きる
今の日本の女性にとっても、
どこか共感の持てる姿ではないでしょうか?

グロテスクとも思える彼女の自画像と向き合っていると、
鏡と画面の前で、
自分と対話する彼女自身の心の声が聞こえてくるようです。

Schjerfbeck SelfPortrait en face 1945
《正面を向いた自画像》(1945)
Ateneum Art Museum


***


彼女の才能の豊かさと幅広さに驚くこと間違いなし。

藝大美術館での開催は終わりましたが、
来年初頭まで各都市に巡回します。

この機会にぜひぜひ足をお運びください。


〈ヘレン・シャルフベック〜魂のまなざし展〉
2015年6月2日~7月26日 東京藝術大学大学美術館美術館(開催終了)
2015年8月6日~10月12日 宮城県美術館
2015年10月30日~2016年1月3日 奥田元宋・小由女美術館
2016年1月10日~3月27日 神奈川県立近代美術館・葉山
公式サイトhttp://helene-fin.exhn.jp/


今日はこれぐらいで。
それではまた。





 
浮遊する形態をつなぎとめるデザイン〜〈燕子花と紅白梅〉

こんにちは如月東子です。

現在、青山は根津美術館で開催中の展覧会
〈燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密〉
についての感想です。


***


昼下がりの根津美術館。
ゴールデンウィークの連休最後の日に訪れましたが、
うららかな天気もあってか、さすがに少し混雑気味。
チケットを買うまでに、少し行列ができていました。

北魏時代の釈迦立像に迎えられつつ、
早速、企画展会場に。
企画展は、美術館全6室のうち3室でみられます。


企画展の構成は下記のとおりです。

第一章 燕子花図と紅白梅図ー「模様」の屏風の系譜
第二章 衣装模様と光悦謡本ー光琳を育んだ装飾芸術
第三章 団扇・香包・蒔絵・陶器ージャンルを超える意匠

また、季節ごとのお茶道具を展示する【展示室6】では、
「燕子花図屏風の茶」と称して、
根津嘉一郎が、
《燕子花図屏風》を披露した後に催した茶会で使用した
お茶の道具が展示されています。


***


本展覧会は、
2つの国宝の屏風
《燕子花図屏風》《紅白梅図屏風》
一堂に会するというのが目玉ではありますが、
同時に、光琳のデザインの源をさぐる
というテーマを持つ企画でもあります。

呉服屋に生まれた光琳が生家から受け継いだデザイン、
光琳の尊敬した俵屋宗達の卓越したセンス、
「光悦謡本」と呼ばれる謡本にほどこされた
雲母摺にから光琳が得た創造のヒント。

コンパクトながら、うまくまとまった展覧会です。


光琳といえば、
2008年に東京国立博物館で開催された
〈大琳派展-継承と変奏-〉では、
光琳を含む琳派の画家の作品が数多く展示されました。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=559)

私は正直、その時はあまり
光琳の作品を好きにはなれずにいました。
他の琳派の画家に比べて、
どこか奇をてらったような印象をうけたのです。
でも、今回の展覧会では、
なぜか素直にそのセンスに驚き、
そのすごさを実感することができました。


***


さて、《燕子花図屏風》
その圧迫感というか、迫力に驚きました。

もしかしたら昔、
〈大琳派展〉で一度見たかもしれませんが、
その際の印象はあまりなく
(展示替えでみられなかったのかもしれません)、
意識して見たのは今回がはじめて。

思った以上に大きな屏風なのです。

金地に淡い緑の葉が勢いよく上方に突き上がり、
群青の大きな花弁を支えます。

右隻にも左隻にも、
ほぼ真横から見たような格好で
直立する燕子花の群生が描かれていますが、
右左で構図は違います。

左隻の燕子花は、
右隻より丈が短く、花弁はより暗い青で描かれ、
左上隅から右下隅にかけての
斜めの構図が意識されます。
一方の右隻は、
帯状に横に並ぶような構図。


右隻から左隻にかけてゆっくり歩きながら
ふと思い出したのは、「米くわぬ女房」という昔話。
ご存知の通り、端午の節句の起源を語る物語です。

米を食わない、という嫁をもらったはいいけれど、
実はそれは大蛇が化けた女。
正体がばれたと知るや大蛇はその正体を現して、
亭主を喰らおうと追いかけてきます。
しかし、あわや食べられるかというところで、
男が、蓬と菖蒲がたくさん生えている沼地に逃げ込んだところ、
菖蒲の効力で大蛇は力を失い(死ぬ?)、助かることができた。
そのため、この時期、
菖蒲をかざって、よもぎ餅を食べるようになった、という。


もちろん、燕子花と菖蒲とは違う花なので、
勘違いによる想起なのですが、
屏風をみていた私は、
花の威力に退治される蛇のような気持ちになったのです。

金地の背景は、(光の加減にもよりますが、)
奥行きを感じさせず、
見えないバリアがはられたような空間感を与えます。
右隻の、鋭い葉先をたて、
紫がかった高貴の花の群れが壁のように感じられたところに、
構図の妙で、視点が変化して感じられる左隻に至ると、
群生する葉叢に迷いこんで抜け出せなくなったかのような、
そんな追いつめられた気持ちにすらなります。

この大きな屏風は、
広い部屋(あるいは野外?)に飾られたに違いないのですが、
それは一体どういう場だったのでしょうか?
この異空間の前でなにが行われていたのか?
不思議な気持ちに襲われます。


***


《燕子花図屏風》の隣には、
二曲一双の《紅白梅図屏風》

こちらは、《燕子花図屏風》に比べると、
小振りで柔らかさと軽さを感じさせます。

特に独特なのは、
川と思しき水紋を帯びた中央の黒い色面です。
金泥で描かれたそれは、
人の手が描いたとは思えないような
自然で複雑な滑らかな曲線。

光琳の水の意匠のすごさは、
振り返ったところにある
《白楽天図屏風》の波の表現にもみられます。

寸分違わず、というのか。
同じようなラインを重ねつつ、
一刻たりとも同じ形を保たない水の流れが、
まるで今まさに動いているかのような印象を与えつつ、
画面に描きとどめられているのです。


***


自然の形態は無数に多様です。
遠近法的三次元表現に限定されず、
また、物語画・宗教画の伝統に束縛されない以上、
画面にとどめうる形は無数にあり、
取り得る構図は無限にあるはずです。

しかし、光琳の絵画を見ていると、
その花はその画面の中で
「その形」で「そこ」にある以上にその花らしくあることはなく、
その波は「そこ」に「そのライン」を描くほかないように思われます。

物理法則を離れて浮遊する形態の全てが、
そこにその形態をとるしかないというバランスでそこにある
という不思議さ。
光琳のデザインの凄さをみる思いです。


今回の展覧会は、
1716年に没した光琳三百年忌の記念展でもあります。

昨年、大和文華館で開催された展覧会〈酒井抱一〉では、
抱一は光琳に私淑し、「光琳百年忌」を行った、と言及があり、
少し気になっていましたが、
抱一のまなざしを多少なりと理解することができたような気がします。
私にとって光琳再発見のまたとない機会となりました。


根津美術館の庭園の燕子花も今が盛りです。

燕子花

会期終了まで間がありませんが、
この機会にぜひ足をお運びください。


尾形光琳300年忌記念特別展
〈燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密〉
根津美術館 
2015年4月18日 ~ 2015年5月17日

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html


今日はこれぐらいで。
それではまた




 
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