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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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美術館に行こう!(展覧会編⑧)〜比較!比較!比較!〜

こんにちは如月東子です。

これまで展覧会で鑑賞する際に
ポイントにするといいと思うことを、
いくつか掲げてきました。

最初に私の方法として、
 ◇ 会場は2度まわる
 ◇ 文字資料も読む
 ◇ 一定の距離・高さ・時間で見続けない
 ◇ 比較できる作品をみつけたら交互に見て比べる
ということを提示しましたが、
今日はその最後のルールについて。

展覧会鑑賞の深化の度合いは「比較」にかかっている!
というお話です。


***


ある作品を見ると、
ここにはない他の作品が思い浮かぶ、
ということはありませんか?

「前に見たあの作品に似ているなあ。」
「同じような風景画だけど、○○の描き方とは違うなあ。」
とか。

その時あなたは、無意識に「比較」をしています。

そして、この「他作品との比較」抜きに
深い作品鑑賞は難しいのではないか、という気が私はします。


***


「比較」といっても「どちらがうまい」ということを
比べるわけではなく、
「似ているところ」「違うところ」を探すということです。

類似点、相違点を見つけることで、
その作品特有の特徴というのをよりはっきりと把握することができます。


もちろん、他の作品と関連づけなくても
今、目の前に見えているものだけで楽しむことはできます。

描かれた奇麗な風景、華やかな衣装、豪華な宝飾品、
美しい女性(男性)の顔、
あるいは、筆遣いの緻密さ、本物と見まごうような描写、
あるいは画面上の濁りない色合い。

「すてきな風景ね〜」「すてきなドレス」
「リアルだね」「きれいな色ね〜」
思わずこんな感想をもらしている人がたくさんいます。

日常的な感覚の延長線上から作品を評価する。
「なんかいいものをみた」
それをだけでも作品を楽しんだことにはなります。


もう少し進んで、
その作品が自分の心に与えるなにか、
琴線に触れるなにかを見つめる、
ということにフォーカスすることも
十分作品を味わうことになるでしょう。

自分の心に呼び覚まされる記憶や感情、
想起されるイメージとアイディアを追求するだけでも
鑑賞の意味は十分あるといっていいかもしれません。


・・・でも、
自分の普段の生活や自分の心から一歩あゆみ出て、
その作品の「そのものらしさ」をもっと感じようとしたとき、
どうしても
「他の作品となにがどう違うのか」ということが
問題として立ちあらわれてきてしまいます。
どうしても
他の作品との関連付けが必要になってきてしまうのです。

そしてこの関連付けは、「比較」によって可能になるのです。


作品は多かれ少なかれ必ず時代性や地域性を帯び、
それに制約されているものです。
同じ時代・同じ地域・同じ流派に属している
一群の作家の作品はなにか似た雰囲気を宿します。
それを美術史では「時代様式」「地域様式」といいます。

ある時代の様式は、他の時代・地域の様式とは異なります。
同じ主題(例えば「キリスト像」)を描いても、
13世紀の表現と15世紀の表現、そして17世紀の表現とは
まるで異なります。

いくつかの時代・地域の作品を並べ、
なにがどう違うのかを見比べることではじめて、
それぞれの様式の特徴を把握することができます。

また、ある様式内部にいる2人の画家の作品を並べて観ることで、
互いの共通点(つまり時代の様式)と
それぞれの画家の個性的特徴(個人様式)を
感じ取ることができます。

比較のポイントは、
 ・同じ作家(工房)の年代の違う作品、
 ・同時代の同地域の別の画家(工房)の作品、
 ・同時代の別地域の作品、
 ・別の時代の同じジャンルの作品
などの場合が多いと思います。


***


ところで、
美術館というのは、多く「文脈の途切れた場所」です。
教会やお寺に飾られて、時には礼拝されていたはずの作品が、
無機的な近代建築のガラスケースの中に閉じ込められています。

しかし逆に言うと、
本来あった場所では隣り合わないもの同士を比べるのに、
好都合な場所でもあります。

特に展覧会というのは、ひとつのテーマで
作品が集められてきています。

一人の画家の初期作品から晩年の作品が集められているなら、
同じモティーフが描かれた作品を比べ、
その変遷を感じ取ることができます。

同じ様式の作品(例えば17世紀オランダ絵画)が
集められているのであれば、
同時代の二人の画家の表現を比べることができます。

ある作品に基づいて別の作品が作られたなら、
なにが同じで何が変化したのかをつぶさに観察することで、
作者の意図を感じ取ることができるかもしれません。


展覧会によっては、
「比較」自体がテーマになることもあります。

例えば、今年行われた〈ボストン美術館展〉は、
浮世絵とそれに影響をうけた19世紀西洋作品を並べて展示していました。
これによって、影響関係がわかるだけでなく、
それぞれの特質というのも明確になりました。

最近は、
作られた当初は対(つい)や連作になっていたにも関わらず、
その後バラバラになって、
現在、別々の国の美術館等で保管されている作品を
一つの場所で展示する、
すなわち当時の状況を「再現する」というような
展覧会も増えてきているように思います。
国際交流が盛んになってきたからでしょうか。

通常では眼前にできない作品同士を見比べる機会が増えて、
美術鑑賞者にとっては本当に嬉しい限りです。


このように多くの場合、
展覧会は、比較の絶好のチャンスなのです。


***


展覧会に行って一通り作品を見ながら、
あれとあれは比較できるな、と目星をつけておいてください。

そして、何度も作品の前を行ったり来たりして、
見比べて見てください。

それぞれのイメージを覚えれば
そんなに行き来しなくてもいいのではないかと思わず、
体を使って見るようにして下さい。

というのも脳は編集好きなのです。

自分の好きなところだけ見るように、
そもそも関心のないことには気づかないように、
私たちを好き勝手にコントロールしてしまいます。

だから、実際に作品を目の前にして、気づいた点をメモし、
別の作品の前に行き、先ほどの作品との違いを探してみる。
すると、目の前の作品について新たな発見があり、
その点についてもう一度
もう一つの作品がどうなっているかを確かめにいかずにいられない。
そんな往復が始まるはずです。


このような蓄積が増えてくると、
だんだん、他の作品を一見したときにも、
様式、画家の個性などへの見方が深まってくるように思います。


8回にわたって書いてきた
「展覧会に行ったときにより深く作品を鑑賞するための方法」
なにか参考になることがあったでしょうか?


今日はこれぐらいで。
それではまた。




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美術館に行こう!(展覧会編⑦)〜「すごいフレーム」の外へ〜


こんにちは如月東子です。


前の2回では
「近づいたり離れたりしてみる」
「見る高さや方向を変えてみる」など、
体を動かして鑑賞する方法をご紹介しました。


今日は鑑賞する時間について考えてみます。


***


気になった作品があったら、
時間はどれだけかけても
かけ過ぎるということはありません。

ちょっとでも心に残る作品があれば、
試しに10分くらいはその前にとどまってみてください。

見ている時間に比例して、色々なことに気づき始めるはずです。


一目見て「すごい!」と感服してしまう絵を
長い時間見続けるのもつきない発見があるものですが、
一見したところはたいしたことのないような絵でも、
見続けているとひしひしと価値がわかってくる、
ということはよくあることです。


子供の頃とは違い
ある程度の作品数を見てきた大人の場合、
一目見て「すごい!」と感じる作品は、
自分の中にある「すごいフレーム」に当てはまる作品
である可能性が高いです。

でも、自分の「すごいフレーム」から外れていても
すばらしい作品はこの世の中に幾らでもあります。


ここでも、
展覧会の構成を考えたり、
解説を読んだりするのと同じような
自分を広げるチャンスがあるのです。


スタッフのレベルや展覧会の規模にも関連するとは思いますが、
展示されているものは
そのみちの専門家がその判断基準に従って選んだ作品。

歴史資料的価値のみで選ばれたものもあるでしょうが、
造形作品の場合、その多くが、
それ相応の美的価値を含んでいることが多いです。


美術作品は情報量が多いので、
普通の人がぱっと見てわかること以上のなにかが必ずあります。


だから、ちょっとでも引っかかりのある作品であれば、
いつもよりちょっと時間を多くとって見てみて下さい。

すごく好きな作品、すごく気になる作品であれば、
1時間でも2時間でも半日でも見続けてみましょう。


***


念のために書くのですが、
見る際は、他の人の流れを邪魔しないように
気をつけながら見るのが鉄則です。

後ろに人が並んでいるのに
画面の真ん前に陣取って何分も動かないのは、
(気持ちはわかりますが)やめましょう。

長く絵の前にいれば、人の切れ目は必ずあります。
その時をみはからって、
真ん前近くにすっと出て、見たいポイントを見るのです。


***


気になる作品を見るときは、
できれば、気づいたことをメモしておくと、
後日の記憶にも残りやすいです。

展覧会によってはスケッチ禁止のところもありますが、
ラフな絵を描いておくとよりわかりやすくなります。

スケッチができない場合は、
その作品の絵はがきを買って、そこにメモするのも便利です。
(ただ、ミュージアムショップは展覧会場を出たところにあるので、
二回目以降の鑑賞時、ということになってしまいますが…。)


メモ等をするのにオススメなのが、
京都大学総合博物館のミュージアムショップで売っている
「フィールドノート」です。

フィールドノート



地質学者のフィールドワーク用に考案されたものということで、
表紙が固く、中身は方眼になっています。
鉛筆ホルダーもあり、便利です。
お値段もお手頃で525円。
これにしおりがついていると最高なのですが…!


京都大学総合博物館のミュージアムショップ
http://musep.jimdo.com/%E5%95%86%E5%93%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/


手に入る機会があれば、ぜひお試しください。


今日はこれぐらいで。
それではまた。


 
美術館に行こう!(展覧会編⑥)〜作家との直接対話…?〜


こんにちは如月東子です。


引き続き、個々の具体的作品の鑑賞方法について
考えていきます。


***


前回は、
近づいたり離れたりすることで、
全体と部分とが絶妙に調和しているのを味わうことができ、
また、思わぬ緻密さやダイナミックさを発見できる、
ということを書きました。


そうやってつくづくと見ていると、
全体の精妙さに感じ入ることも多いですが、
時に、あるモティーフが、ある色が、
邪魔に感じるときがあります。
あるいは、
なぜここにこの色や線や形を置いたのか
疑問に感じることがあります。


そうしたら、1本か2本指をたてて
自分の片方の目の前にかかげ、
画面の一部を隠してみましょう。


そして
「ある部分が今ある画面とちがったら…?」
と想像してみます。



ブリヂストン美術館のセザンヌ
《帽子をかぶった自画像》を見てみてください。

(画像は以下)
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/collection/works/7/


壁の模様(しみ?)のブラウンは、
今あるあの部分に必要でしょうか…?


隠してみましょう。


するとやはり、
それがないとどうも全体の安定感がなくなるな、とか
どうも画面がつまらなくなるな、
ということが納得できるようになりませんか?
(あるいは、やはりないほうがいいと思うかも!)


「しみ(?)」があるかないかで、
あの絵画が、現実空間を映そうとの意図したものなのか、
より自律的な絵画空間を構築しようとしたものなのかの
解釈が違ってくるように思えます。


どのような順番で描いていったのかわかりませんが、
この絵を描きながらセザンヌは、
もしかしたらこうやって片目をすぼめて絵を眺め、
あの不思議なしみを描き足したのかもしれません。


他のだれにもわからないけれど、
「指をかざして画面を隠してみる」という
小さな、でも、能動的な行動ひとつで、
自分と作り手との「対話」が生まれるのです。



***


見る高さも色々変えてみましょう。


自分の身長よりは高くできませんが、
しゃがむとまた別の側面が見えます。


茶道具は、目線よりだいぶ下に置かれていることが多いです。
お茶碗の側面が見えるぐらいにはしゃがみます。
お手前をいただくときに器を眺めるように。

せっかくの名器の横顔を眺めないと!


しゃがむと油絵の具のマティエール(凸凹)が
よりハッキリわかるようになることもあります。

ワニスのかかった古い油絵が、
光を強く反射してしまうときも、
しゃがんだり、斜めから見たりすると
見やすくなります。


古い日本絵画のように、
彩色がかなり暗くなってしまっているものも、
角度を変えると見やすくなることがあります。


場合によっては、
光源が視界に入ってしまうこともあります。
そういう場合は、
作品に対する集中力がそがれるので、
自分の額に手をかざして影を作ります。
形や色などの判断もつきやすくなります。


そう考えると、
作品の前であっちこっちと体を動かす一因は、
ライティングと折り合いをつける必要があるからかもしれませんね。


作品に当てられた照明は、
作品を見やすくも見にくくもします。


油絵が光ったりする、
これは主にライティングの仕業です。


最近、同じ工芸品が
違う展覧会に出品されているのを見かけましたが、
設置の仕方とライティングとで、
素材の感じられ方がハッキリ違いました。


私は学芸員資格取得のための実習で
彫刻のライティングに挑戦したことがありますが、
照明を設置できる場所が限られている中で、
複数のライトの照度を調整し、適切な立体感を出すことは
なかなかに難しい作業でした。


美術館側もできるかぎりの工夫をこらしているはずですが、
作品によってはどんなに工夫しても
光が反射してしまいます。
自分が動き回って、
少しでもよく見える場所を探すほかありません。


でも、
やむを得なく動き回っていたとしても、
高さや角度を変えると
また違う発見があるはずです!


意図的に色々な方向からの鑑賞を心がけると
思わぬ発見があるかもしれませんよ。



今日はこれぐらいで。
それではまた。


 
美術館に行こう!(展覧会編⑤)〜もっと近づきたい〜

こんにちは如月東子です。

引き続き、美術館の展覧会の歩き方です。


もしかしたら今回は、
展覧会の歩き方というよりは、
美術館での作品の見方一般になってしまうかもしれません。


今日からしばらく、
個々の具体的作品を鑑賞する際、どうやって見ていくか、
ということを考えていきます。


***


作品を見ているとき、
私はもしかしたら周りからはちょっと
変わった人にみえるかもしれません。


作品に身を乗り出さんばかりに寄ったかと思うと、
じりじり後ずさり。
変なところで中腰になっている。

額に手をかざし、
目をすぼめ、
時には、目の前に指をたてて片目をつぶっている。

細かい細工が見どころの工芸品が出品されているわけでもないのに、
単眼境をのぞいては離し、離してはのぞく。

一つの作品の前でウロウロと30分も40分も行き来する。


スマートではないかもしれませんが、
そして周りの人に迷惑をかけないように気をつけるべきですが、
でも、
作品を見るときは、
一定の距離・高さ・時間で見続けない
というのが自分なりの発見をするための必須条件です。


***


今度美術館に行かれた際は、
自分が普段見ているよりもっと近づいてみて下さい。


まず絵肌をじっくりみます。
筆跡、絵具の輝き、近くで目を凝らして初めてわかる微妙な色合い。

そもそも日本の古い絵画だと、かなり色彩が黒ずんでいて、
相当近づいて目を凝らさなければ、
ぼんやりとしか図像がわからないこともままあります。


近くを見たら、少し下がって全体をみます。
少し遠ざかると、先ほど見たパーツが、
また違う印象を与えることがわかります。


全体→部分→全体→部分→全体→部分…

普通に→極近で→近くで→遠くで→極近で→普通に→遠くで…



モティーフ、色彩、構図、配置、
筆遣い、マティエール(画面の質感)、素材、
そして全体のバランス。

画面上のそれぞれのパーツが
別のパーツに働きかけ、
全体の調和が保たれています。


近づいてみると、即興的なのかと思われた作品が、
実は緻密に計算して描かれていたことがわかります。

ブリジストン美術館所蔵の
ジャクソン・ポロック《Number 2, 1951》に近づいたとき、
はっと思いました。

ベージュの画面に黒い絵具をドリッピングしただけかと思いきや、
よく見てみると、
ある部分は、ドリッピング後にできたスペースの内部を
ベージュの絵具を細心に埋めていたのです…。

画像は以下
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/collection/works/58/



***


あるいはぐっと遠ざかってみましょう。

東京国立博物館で毎年年始に展示される
長谷川等伯の《松林図屏風》。

さがって、さがって、
展示されている国宝室をはみ出るぐらいにさがっても、
画面から霧のような空間感が溢れ出てきます。

画像は以下
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=A10471&t=


***


さて、この機会に鑑賞アイテムをひとつご紹介。

近くを見るとき、
肉眼では物足りなく思う方はおられませんか?

細かい細工の入った金工ならもちろん、
浮世絵だって、ガラスケースの中では遠すぎて、
あの凸凹が感じられません。
油絵だってマチエールを触るように近寄りたいという方。

そのためのお道具。
単眼境です。
双眼鏡でもいいかもしれませんが、よりコンパクトです。

私が使っているのは
Karl Zeiss
デザインセレクションモノ4×12 B Mono



Zeiss


これは大学時代の仏像専門の教授のオススメ。
プロのお眼鏡にかなったものです。


私は他の単眼境を使用したことがないので、
ほかと比べてどうかわかりませんが、
単眼境からのぞいた映像が非常に明るいのが特徴とのこと。


この単眼境をお持ちなら、
後ろにさがった状態でもごく一部分を
クリアに拡大して見られます。


倍率はこのモデルでは低い方ですが、
逆に20㎝くらい近くのものでも拡大できるので、
通常の展覧会や寺社での仏像等の鑑賞で不便
ということはまるでありません。
(もう一段倍率が高い6×18でもいいようです。)

値段は、現在ネットで調べた限り3万円ちょっと。

数千円レベルのものに比べれば
値段ははりますが、品質は保証されていますし、
実際、長期保証がついていますので、
一生ものとすれば、高くはありません。

カールツァイスジャパン
http://www.zeiss.co.jp/sports-optics/ja_jp/nature/monoculars.html#inpagetabs-2

販売店が限られているので、
ご購入の際は、メーカーに問いあわせる等してください。
参考
http://www.indexpro.co.jp/distributor/list-distributor.aspx?mcid=498



ちょっと散漫になってしまいましたが、
今日はこれぐらいで。
それではまた。



 
美術館に行こう!(展覧会編④)〜もったいないですから〜

こんにちは如月東子です。

秋は大きな展覧会がたくさん開催されていて
目移りしてしまいます。
面白い展覧会に出会えましたか?


今日は、展覧会に行ったときに、
なぜ「文字資料も読んだほうがいいのか」ということについて
考えてみます。


***


「文字資料を読む」というのは
わざわざ関連の本を買って読もう、
と言っているわけではありません。

展覧会に行くと、入口には「ご挨拶」、
そして、章ごと、作品ごとに
「キャプション」とよばれる説明文・解説があります。

展覧会に行ったら、最低限それぐらいは読もう、
というだけです。


…というと、
「当然読んでるよ!」というお声が聞こえてきそうです。

皆さんが説明書きを読んでおられるのは、
説明書きがある場所では
鑑賞者の流れが溜まってしまうことからもわかります。

説明書きを5分かけて読んで、
作品は10秒ぐらいしか見ていない、
なんて揶揄されることすらあります。


それでもやっぱり、
展覧会場の説明書はできるだけ全部読んだほうがよい
と私は思っています。


***


なぜ、読むことにこだわるのでしょうか?
それは、鑑賞の「客観性」に関係してきます。


私たちは、なにかを見たとき、一見しただけで
なんらかの印象を受けてしまいます。

視覚的なセンセーション(感覚)が伝える情報は様々にあり、
理性的に理解できるレベルから、
感情をかき立て、
無意識の記憶を喚起するレベルに達する情報もあるでしょう。

そんななかでも芸術作品は、
私たちの感覚に訴える力が特に強いのです。
芸術の持つ強い魔力です。


芸術作品は一瞬で、あるインパクトを人に与える。


そしてそのとき私たちは、
自分が得た印象を作品が発しているメッセージと
同一のものと考えてしまいがちです。


でも、視覚情報は、その力が強い一方で、非常に曖昧です。


インフォグラフのように、
一種の世界共通言語として
情報を伝達するのに特化して開発されている図像もありますが、
芸術作品の多くはそもそも複雑な何かを伝えようとしており、
受け取り手の状態によって、
受け取られる内容に非常な幅が生じます。


様々なレベルで様々なことを伝えているにもかかわらず
説明が少なすぎるのです。


そこで、
学者が、研究者が、作家が、批評家が、科学者が、
その他さまざまな人たちが、
さまざまなアプローチで
それぞれに作品からのメッセージを追いかけ続けています。

描かれた図像から、
作品を作った人・作らせた人の意図から、
置かれた場所から、流通の仕方から、
作られた時代の人が得た感覚から、
時代によって、地域によって違う受け取られ方から、
あるいはまた、
その作品の物性から、
その作品のもつ固有のメッセージを読み取ろうと
努めてきました。


その努力の現時点の結晶とも言えるのが、
展覧会におけるキャプションなのです。


様々な歴史資料から、
年代や作者、制作状況を割り出す…、
古い史料をあさるのは骨の折れる作業です。

科学的調査は多くの場合、修復作業と並行して行われますが、
時間とお金と根気のいる仕事です。

数多くの文献から、当時の言説・批評を集める。
同時代の他の膨大な作品と見比べる。
そしてもっと大きな歴史的枠組みの中に作品を投じてみる。


様々な人が、その作品について調べ、考えてきたことが、
一つのキャプションには詰まっているのです。



だからそれにアクセスしないのはまずもってもったいないことです。


もちろん、そのキャプションに書かれている説明が
「正しい答え」だと言うのではありません。

年代や制作地などのいわゆる「客観的な」データは
かなり正しいといえるかもしれませんが、
作品解釈には仮説しかありません。

ある時代に決定的と思われた作品解釈すら、
資料の発見や修復によって、
評論家のロマンティックな思い込みだったと
発覚することがあります。

あなたも全く違う文脈を読み込んで、
自分に都合の良いなにかをそこに見ているかもしれない。
ひどく思い違いをしているかもしれない。


逆に、解説とは違っても、
あるいはたとえ作者の意図とは違ったとしても、
あなたの得た答えが「正しい」のかもしれません。
それが今ある「客観的」情報に耐えうるものであれば。

…いえ、「客観的」情報に耐えられないとしても、
作品が自分に与える感覚からなにを受け取り、
どんなメッセージを読むのかは見る人の自由です。


でも、あなたの得たものだけが答えではない、
ということは了解しておくべきです。


あなたがなにを感じようと、
作品が固有にもつメッセージは
永遠にあなたの外に存在し続けるのです。

誰かの作品解釈の外側に存在し続けるのです。


だからこそ、誰かが書いた作品の解説や説明書を読んだら、
そのまま通り過ぎてはいけないのです。

もう一度作品を見返して、
その解釈に、自分の感覚でチャレンジしなければ。


解説を一生懸命読むのが悪いのでは決してありません。

気をつけるべきは、
あくまで「他者」である作品を理解するために読んでいるのだ、
ということを忘れないことだけです。


解説が苦手、という方でも、
ちょっと面倒で、
ちょっと自分を混乱させるとしても、
解説を読んで、
少しだけ自分の世界を広げてみたらいかがでしょうか。


今日はこれぐらいで。
それではまた。




 
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