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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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映画「至高のエトワール〜パリ・オペラ座に生きて〜」鑑賞


映画「至高のエトワール〜パリ・オペラ座に生きて〜」鑑賞

原題:Agnès Letestu - L'Apogée d'une Étoile
監督:マレーネ・イヨネスコ
2013 フランス 93分

オススメ度 ★★★☆☆

2013年、
16年間にわたってパリオペラ座の
エトワールつとめたアニエス・ルテステュ
引退しました。

本作品は、
引退公演までの2年間の稽古・舞台の映像に、
引退後のアニエス
および
彼女の共演者・振付家らへのインタビューを交えて構成された
ドキュメンタリー映画です。


***


私は常々、
現代において、
最も人体の可能性を追求しているのは
バレエ・ダンサーではないかと
考えています。
どんなアスリートよりも、です。

おそらく、彼らは、
自分たちが人間の身体能力に挑戦しているなどと思っておらず、
「結果的に」そうなっているにすぎない、そう言うでしょう。

古典であれ、コンテンポラリーであれ、
ある作品を踊るにあたって、
ある動きが要求され、
彼らはそれに応えているだけなのです。

しかしそれは、
美の規範を体現するために、
幼少時から鋼のように鍛えられた身体と、
表現するものに対する理解と感性、
そして、
表現することに対する強い意志とがなければ、
実現できないことです。

その能力を認められた人が
バレエ団における「プリンシパル」、
オペラ座でいえば「エトワール」なのだとすれば、
アニエス・ルテステュは、
エトワールの称号にふさわしいと感じられます。

生まれ持った肉体が美しいのはともかくとして、
その身体の強さと表現力。
古典だけでなく、
コンテンポラリーでもその才能は発揮されます。
絶え間なく努力する力、
作品や振付家の要求に対する理解力。
そしてなにより
穏やかで落ち着いていて、頼りがいのあるその人格。

満月のように欠けるところがないエトワール。

映画では、彼女の様々なダンスを堪能できます。


***


しかし、そんな彼女にも、
エトワールとしての最後が訪れます。

人間の身体の粋であり、頂点であるバレリーナの身体は、
命に限りある人間の身体。
必ず衰える日がきます。

ある踊り手の人生は一回きり。
踊られる踊りは、いつも一回きりで消え去って行くものです。

フィルムに残してくれてありがたいですが、
やはり、
最盛期のアニエスの踊りはもう、
誰かの記憶の中にしか残っていないのですね…。


監督のマレーネ・イヨネスコさんは、
ダンス関係の映画を数多くとっている方のようです。
マチュー・ガニオなど、その他のエトワールの作品も
あるようです。
イオネスコさんのHP(?)
http://www.marleneionesco.com/index.html


主役を踊る人=エトワールとしての
アニエスは引退しましたが、
まだまだバレエ界で活躍する意欲は旺盛。
今後、別のところでお名前を拝見できることでしょう。

アニエス・ルテステュさん自身、大変素敵な女性です。
バレエに知識がない方でも楽しんでいただけると思います。


是非ご覧下さい。


至高のエトワールフライヤー


映画公式サイト
http://www.alcine-terran.com/shiko/




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今日誕生日の画家〜ノエル・コワペル

ノエル・コワペル(Noël Coypel)
17世紀後半〜18世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家・装飾家。
ノエルはフランス語でクリスマス。
1628年の12月25日、画家の息子としてパリに生まれ、
1707年、パリで亡くなった。

画家であり建築家でもあった
シャルル・エラード(Charles Errard 1606–1689)の後ろ盾により、
ルーヴル宮殿改築やチュイルリー宮殿建設時の
絵画制作に関わったのをはじめとして、
レンヌのブルターニュ高等法院、
ヴェルサイユ宮殿などの装飾を手がけた。

古典主義的かつ豪華な画風で、
王室からの多くの注文を受け、高い名声を博した。

1663年、ノエルは、
フランス王立アカデミーのメンバーになり、
1673年から1675年には
ローマのアカデミー・ド・フランスの監督を努めた。
帰国後、1695年には、
王立アカデミーにおいて監督にまで上りつめている。


Noël Coypel Resurrection of Christ Rennes
《Resurrection of Christ(キリストの復活)》
Musée des Beaux-Arts de Rennes (1700)
©The Athenaeum



なお、2人の息子
アントワーヌ・コワペル(Antoine Coypel 1661–1722)
ノエル=ニコラ・コワペル(Noël-Nicolas Coypel 1690 – 1734)
およびアントワーヌの息子である
シャルル=アントワーヌ・コワペル
(Charles Antoine Coypel 1694 - 1752)

画家となっている。

アントワーヌとシャルル=アントワーヌは
国王首席画家にも指名されており、
ノエル・コワペルを祖とするコワペル一族は、
17世紀〜18世紀のフランス絵画アカデミーにおいて
最も有力な一族であった。


出典
wikipedia: Noël Coypel(English)
wikipedia: Noël Coypel(Français)
Archives de France: Noël Coypel





 
映画「ハーブ&ドロシー〜アートの森の小さな巨人」鑑賞

「ハーブ&ドロシー〜アートの森の小さな巨人」

Herb & Dorothy
2008 アメリカ
監督 佐々木芽生



オススメ度 ★★★★★

ドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー」を
再見しました。


NYに住む老夫婦。
小さなアパートで慎ましい生活を送る彼らですが、
実は伝説の現代アートのコレクターなのです!

アートの中心がアメリカに移った1950年代。
ミニマル・アート、
コンセプチュアル・アート、
ポップ・アート

様々な実験的な作品が作られました。

世界のアートの最先端NYで、
夫婦生活を開始した若きハーブとドロシーは、
まだ無名のアーティストたちのアトリエを回っては、
作品を収集し続けました。


購入する作品の条件はこれだけ。

・自分たちのお給料で購入できる額であること
・1DKのアパートに収まる大きさであること
・自分たちが見て好きだと思ったもの


ハーブは郵便局員、ドロシーは図書館司書。
公務員の給料は、決して豊かなものではありませんでした。
ドロシーのお給料で家賃と食費と電話代を支払って、
ハーブのお給料は全てアート収集につぎ込まれました。


彼らの作品収集の仕方は、
基本的には芸術家自身のアトリエに行き、
直接いくつも作品見て、気に入ったものを譲り受ける方法。

他の人が見向きもしない作品でも、
ハーブとドロシーは、作家の成長や変化の予兆を見逃さず、
クロッキーや習作も「作品」として評価して購入しました。


今は成功したかつての無名作家たちが、
ヴォーゲル夫妻についておもしろおかしく、
様々なことを語ってくれます。

代金は細かく分割で払われていたこと。
ねこを預かってもらう代わりに作品を譲った話。
全ての作品を見たがった話。


古くからの友人である芸術家の一人はこういいます。

「彼らはほんとに貪欲なの!」


ヴォーゲル夫妻の芸術に対する欲求は、
——美しいものを見て所有したいという欲求は、
とどまるところをしりません。

ある作品を手に入れても、
別の作品が二人の目に適うなら、
彼らの生活でまかなえる限り手に入れたいのです。

彼らのアートに対する「貪欲さ」は、人並みはずれています。

でも、
彼らの「アートに対する貪欲さ」って一体何だろうと思うのです。
それは、決して他人から何かを奪うものではないのです。

彼らは一度購入した作品を売買することはありません。
市場でどんなに高値になったとしても、
作品を売って自分たちの生活費の足しにしたり、
ましてやお金儲けをしたりなどしないのです。


家に収まっていた千を超える作品を、
夫妻はナショナル・ギャラリーに寄贈しました。

それに対して、ナショナル・ギャラリーは、
夫妻に謝礼を支払いました。
ヴォーゲル夫妻が、その慎ましい生活を
少しでも快適にしてくれることを願って。

でも、ヴォーゲル夫妻は、
そのお金で再び現代アートを買いはじめたのです。
彼らが新しく集めた作品もまた
ナショナル・ギャラリーに送られることになっています。


ドロシーは言います。

ハーブは郵便局で、自分は司書として、
国からお給料をもらって生活してきた。
だから自分たちのコレクションは、
祖国(アメリカ)の人たちに還元したいの。


家の中は今もまたアートに埋もれています。
あいかわらずダイニングの一画以外、
足の踏み場がありません。


「彼らは貪欲なの!」
そう言ったアーティストは続けます。
「その貪欲さで私たちは助かったんだけどね…(笑)」


ハーブとドロシーの糧は精神を満たすもの。

彼らが自分たちの充足を求めると、
周りの人間たちもまた豊かさを得るのです。
こんな幸せなことってあるのでしょうか…!

彼らの充足に比べれば、
世間一般が「幸せ」と思う「幸せ」なんてどれほどのものか。



ハーブもドロシーも自分たちの生き方を
人に押し付けたりはしないけど、
自分たちにとって
一番大事なものを見失わない生き方を示してくれました。
あんなにチャーミングでありつづけながら…。


機会があれば、是非ご覧下さい。


ナショナル・ギャラリーのヴォーゲルコレクションは、
下記から(画像は小さくしか見られないようです)。

http://www.nga.gov/content/ngaweb/Collection/provenance-info.992.html?artobj_ownerId=992&pageNumber=1




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続編もとられています。
(私は未見ですが…。)

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映画「激動ヨーロッパ戦線~ファシズム、ムッソリーニの野望」鑑賞

イタリアのテレビドラマ(?)
激動ヨーロッパ戦線~ファシズム、ムッソリーニの野望~
を見ました。

原題 La Guerra e Finita
2002 イタリア 
監督 ロドビコ・ガスパリーニ

オススメ度 ★☆☆☆☆


GYAO!の無料動画で鑑賞。

本作品は、
第二次世界大戦時のイタリアを背景にした男女の物語です。

男2人に女1人の仲良し三人組の大学生。
男性は2人ともその女の子に恋をしています。
恋と友情とで揺れる3人の関係ですが、
やがて幸せなそのバランスが崩れていく。

…これだけならよくあるただのラブストーリーですが、
戦時下のイタリアの分裂状態と
うまく絡み合っているところがみどころです。


***


ところで、皆さんは
第二次世界大戦中のイタリアがどんな状態だったか、
知っていましたか?

ムッソリーニ率いるファシスト党が政権をとっていたことや
日・伊・独が枢軸国として連合を組んでいたこと、
イタリアが結構早く敗戦を迎えたこと、
私の知識はそれぐらいで、
イタリアがいつ参戦して、
敗戦に至るまでどういう経過をたどったか、というのは
この作品を見るまでほとんど知りませんでした。


イタリアはドイツのポーランド侵攻に引き続いて、
1940年にヨーロッパ戦線に参戦しますが、
早くも1943年7月には連合国側に無条件降伏を宣言します。

しかし、
それでイタリアの戦争が終わったわけではなかったのです。

反ムッソリーニ派の画策による降伏に対し、
ドイツはイタリア北部に侵攻を開始。

その支援を受けたムッソリーニらが、
1943年9月、イタリア北部に、
イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana、RSI)
樹立を宣言し、
連合国側への戦いを続けました。

つまり、このときからイタリアは、
連合国側についた南側とドイツ側についた北側とで、
内戦状態に突入したのです。

RSIは、
ムッソリーニを国家元首としていましたが、
事実上は、ドイツの傀儡政権で、
イタリア北部は、ほとんどドイツの占領下の様相を呈していました。

ドイツ統制下とはいえ、
RSIの軍隊は、ファシスト党を支持するイタリア人が構成員。
ファシスト党に反対するイタリア人との間で、
イタリア人同士が殺し合う、
悲惨な状態が生まれてしまったのです。

物語にはあまり出てきていませんが、
この時期、イタリアのユダヤ人が大勢、
ナチスの強制収容所に連行されててもいます。


本作の原題は、「戦争は終わった」。

戦争は終わった!
——とりかえしのつかない多くの犠牲を払って…。

そんな後味のある作品です。


(参考:Wikipedia イタリア社会共和国)

***


3人男女と彼らを取り巻く人々の姿から、
戦時下のイタリアの様々な断片を見ることができます。

歴史を知らないとよくわからない部分もありますが、
イタリアの戦時の歴史についてのイメージを持つのには
よいドラマだと思います。

年末年始のお休みに、ぜひご覧下さい。



GYAO!にて無料配信中
http://gyao.yahoo.co.jp/ct/movie/
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2014年12月12日~2015年1月11日

前編 1:39:32
後編 1:43:59



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今日誕生日の画家〜ジョン・クローム

ジョン・クローム John Cromeは、イギリスの風景画家。

1768年、イングランド東部の
ノーフォーク州ノーリッジ(Norwich)に生まれ、
一生涯をそこで過ごして、1821年に亡くなりました。
低い身分の出でしたが、
画家・修復・ディーラーとして成功したようです。

1803年創設された〈ノーリッジ美術家協会〉において
主導的な役割を果たし、
水彩風景画で有名なコットマンとともに、
ノーリッジ派」として知られています。

地元のコレクターでありアマチュア画家でもあった
トマス・ハーベイ(Thomas Harvey)の
オランダ絵画コレクションから大きな影響を受けています。
また、イギリスにおける風景画の先駆者である
ゲインズバラリチャード・ウィルソンなどからの影響が
指摘されています。


オランダ風景画とノーリッジの自然から画題を得続けたクローム。
ノーリッジとは下記のようなところだそうです。

ノーリッジの東から海岸にかけての一帯は、「ザ・ブローズ(The broads)」と呼ばれる湿地帯が広がっています。古くから毛織物製品をオランダやベルギーなどの近隣諸国へ輸出するなど、交易の拠点として栄えていたノーリッジは、最もオランダに近いイギリスという立地条件も手伝って、イギリスのどの街よりもオランダの影響を強く受けています。どこまでも続く平野に水路が流れ、風車が点々と見られるその長閑な田園風景は、オランダにいるかと錯覚に陥るほどです。
http://news.mynavi.jp/series/london/010/
出典:薄井美代子さん
マイナビニュース 旅行 [2008/12/18]
「日帰りで楽しむロンドン郊外の街〜10 大聖堂と教会が密集するノーフォーク州の州都 - ノーリッジ」
  


一生涯ノーリッジ近辺の風景を描き続けたクロームですが、
その作品を見れば、
18世紀のイングランド東部の様子を追体験できるかもしれません。

Crome, Moonlight on the Yare (c.1816/1817)
John Crome 《Moonlight on the Yare》 (c. 1816/1817)
©National Gallery of Art (Washington, DC )



BBC Your Paintings のホームページでも
クローム作品を見ることができます。
参考になさってください。
http://www.bbc.co.uk/arts/yourpaintings/artists/john-crome


【クロームに影響を与えた風景画家たち】

ヤーコプ・ファン・ロイスダール(オランダ)
Jacob van Ruisdael 
1628頃—————1682

  メインデルト・ホッベマ(オランダ)
  Meindert Hobbema
  1638 ——————— 1709

          リチャード・ウィルソン(英国)
          Richard Wilson             
          1714 ———————1782

           トマス・ゲインズバラ(英国)
           Thomas Gainsborough         
            1727—————— 1788

               ジョン・クローム(英国)
               John Crome      
               1768 −———— 1821

                ジョン・セル・コットマン(英国)
                John Sell Cotman
                1782 —————— 1842


出典
National Gallery of Art (Washington, DC )ホームページ
> Crome, John BIOGRAPHY
BBC Your Paintings ホームページ
> ABOUT THIS ARTIST John Crome





 
ココこんなとこ!〜神戸ファッション美術館(神戸市)〜

こんにちは如月東子です。

今日は、神戸ファッション美術館の紹介と感想です。


***


神戸から海に突き出した海上都市、六甲アイランド。

JR東海道線の住吉駅から出発する六甲ライナーに乗って、
神戸の港を眼下に望む六甲大橋を渡り約10分。
神戸ファッション美術館のある
アイランドセンター駅に着きます。


駅を出てすぐ、
大きな円盤のようなものをのっけた
巨大な建物が目に入ってきました。

神戸ファッション美術館建物


その建物の1階に、
神戸市立の神戸ファッション美術館と
神戸ゆかりの美術館が併設されています。

ファッション美術館外観

美術館看板


***


美術館の入口を入ると、
ロビーは、広く、石造りで豪華な感じです。

ロビースペースでは、
「フェリシモ クリスマスアーカイブスコレクション展」
という小さな企画展示が行われており、
各国の伝統的飾り付けをしたクリスマスツリーなどが展示されていました。


***


さて、
現在開催中の展覧会は、
〈ファッション史の愉しみ−石山彰ブック・コレクションより〉


石山彰氏(1918−2011)は、
戦後日本の西洋服飾史研究の第一人者で、
お茶の水女子大などで教授をなさっていた方だそうです。

石山氏は16世紀ぐらいから西洋で出版され始めた
「ファッション・ブック」の収集家でもありました。

ファッション・ブックは、
現在で言えば、女性ファッション誌。
当時の流行の衣装を身に着けた男女の姿を描いた版画
=「ファッション・プレート」を綴じ込んで、
場合によっては文章をつけて本のように出版されたものです。

ファッション・プレートは、
当時の生活や美意識を伝える資料的な価値が高いだけでなく
独立した作品としても美しく、
芸術的な価値も有しています。


石山氏の収集したそれらのファッション・ブックと、
ファッション美術館が所蔵する同時代の衣装を、
合わせて展示したのがこの展覧会。


展覧会会場手前では、
コスチュームをきたマネキンなどの写真がとれるようになっています。

会場入口ホール


***


展覧会の構成は以下のとおりです。

 第1章 ファッション史の始まり
     −16、17、18世紀の文献とファッション・プレート

 第2章 ファッション・ブックの黎明期
     −革命期から1820年代まで

 第3章 ファッション・ブックの全盛期
     −1830年代から19世紀末まで

 第4章 ファッション史研究の確立
     −19世紀のファッション史・民族服文献

 第5章 ポショワールのファッション・ブックと挿絵本

 第6章 洋装化日本のファッション・プレート
     −揚州周延の錦絵を中心に


展示は、時系列に沿って、
壁や展示ケースにプレートやブックを並べ、
部屋の真ん中に島をつくって、衣装を着たマネキンを並べる、
という構成です。

スペース的には決して広くはありませんが、
プレートの数で考えると膨大な数の出品があり、
かなりヴォリュームのある展覧会です。

ひとつひとつの作品を見ていくと、
平気で2〜3時間経ってしまうと思います。


解説は比較的詳細ですが、
文字が細かく
読むのがおっくうになる方も多いかもしれません。


展覧会の内容をおおまかにいうと、
1章〜3章で、
マリー=アントワネットあたりの時代(ロココ)から、
ベル・エポック(20世紀初頭)ぐらいまでの
女性のファッションの流れが分かります。

4章では、服飾史の分野で次第に実証的な研究が出始め、
民族服などへの関心も高まってきた時代(19世紀)を軽く扱います。

5章では、
20世紀初頭、
ファッション誌に写真が掲載される直前まで発行されていた
非常に芸術性の高いファッション雑誌が紹介されます。

これらの雑誌に掲載されていた「ポショワール」という、
非常に手の込んだ版画の技法で描かれた極彩色のイラストは、
そのまま独立の絵画作品そのものといってもいい完成度です。

第6章では、
「日本のファッション・プレート」というべき浮世絵の中でも、
明治期の日本で活躍した浮世絵師
揚州周延(ようしゅうちかのぶ・1838−1912)
が描いた作品を主に紹介しています。

洋装の日本人の姿を描いた浮世絵は、
同時代の西洋プレートと比較すると、
その色合い等の独特さが際立ちます。

束髪(そくはつ)の結い方指南の出版物などもあり、
当時の女性の関心がかいまみられて面白いです。


18世紀から20世紀初頭までのファッション史を概観できる
「勉強」になる展覧会ですが、
特に5章、6章はそれぞれをテーマに
独立した展覧会ができるぐらいの質量があったと思います。


特にポショワールの美しさは一見の価値がありますので、
ぜひ見ていただきたいと思います。


ただ、今回の展覧会では、
出品リストがないのが残念でした…。


***


19世紀にはいると女性のファッションの変遷ははげしくなり、
 1820年代位まで 直線的シルエット
 1830年代    ロマンチック・スタイル
 40年代〜60年代 クリノリン・スタイル           
 70年代〜80年代 バスル・スタイル
 1890年代    S字シルエット
…などなど、
10年単位で変化しています。

映画などですと、なんとなくで見ていますが、
それぞれの衣装がこんなにハッキリ時代を表現していたとは
意識していませんでした。

日本の開国は1867年ですから、
いわゆる「鹿鳴館スタイル」は、
バスルスタイル(お尻側はすっと膨らんだ形)なのだということも
分かりました。


バッスル
バッスルの構造 出典 Wikipedia

バスルスタイル
出典 ripperiesandfobs.tumblr.com


さらにそれぞれの時代で、
モーニングドレス、アフタヌーンドレス、イブニングドレス、
ウォーキングドレスがあり、
小物があり、帽子があり、髪型があり…。

ちょっと目が回りそうですが、
ファッションに興味がある方には、
尽きせぬインスピレーション源になるようなイラストが
たくさんあるのではないでしょうか。


***


なお、展覧会冒頭で、
ファッション美術館が独自に製作したヴィデオが見られます。

23分間で、
1758年から1900年までのファッションの変遷を追ったものですが、
フィルム全体が、
西洋人俳優(?)出演による
英仏の歴史的建造物でのロケということで、
地味ながらなかなかゴージャスな内容です。

また、
ファッション美術館が、
フランスの人間国宝級の刺繍職人に依頼して再現したという
ナポレオンの戴冠式の衣装なども展示してもあり、
思いがけない豪華なものをみることができます。


***


建物の3階部分に、
美術館付属のライブラリーがあります。
ファッション・建築・美術・デザイン等の
書籍と雑誌を集めた図書館で、
DVDやCDなども視聴できるようです。

画集や写真集など、
洋書も含めて豊富にあったので、
ライブラリーと美術館で丸一日楽しめそうです。

なお、建物内に併設されている
神戸ゆかりの美術館」の年内の展示期間は終わってしまったようで、
今回は拝見することができませんでした。

また別の機会にうかがえればと思います。


チケット代500円で、充実の内容です!
ライブラリーもあわせて
ぜひぜひ足をお運びください。


神戸ファッション美術館
交通 JR住吉駅または阪神魚崎駅にて
   六甲ライナー乗り換え
   アイランドセンター駅下車
毎週水曜日休館
10:00~18:00(入館17:30まで)
http://www.fashionmuseum.or.jp/index.html


特別展示
〈ファッション史の愉しみ
―石山彰ブック・コレクションより― 〉
会期:2014年10月18日~2015年1月6日
(12月29日〜1月3日休館)


巡回予定
2016年2月13日~4月10日 世田谷美術館(東京)


ファッション史の愉しみ


今日はこれぐらいで。
それではまた。





 
本『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』読了

作者 アート・スピーゲルマン
   Art Spiegelman
原題 Maus - a survivor’s tale


★★★★★

『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』の感想です。


『マウス』は、
アメリカ人の漫画家アート・スピーゲルマンが、
その父親が経験した第二次世界大戦での過酷な体験を
聞いて描いたマンガです。


スピーゲルマンの父ヴラデックは
ポーランド系のユダヤ人。

1939年のナチスのポーランド侵攻以降、
妻とともポーランド国内を転々としながらなんとか逃げ続けますが、
最終的には2人ともアウシュヴィッツに送られました。

その過酷な逃亡生活と収容所生活が
息子の筆によって詳細に綴られています。


このマンガの少し変わっているところは、
登場人物(ほぼ)全員が動物の顔で描かれていることです。
ユダヤ人はネズミ、
ドイツ人はネコ、
ポーランド人はブタ…など。

各人物の顔の描写は無個性的ですが、
その分、それぞれが
典型的な役割を担わされているようにも思えます。


***


父ヴラデックの記憶は詳細です。

よく知られた映画に、
ロマン・ポランスキー監督の
「戦場のピアニスト」
という映画があります。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=33143

ポランスキー自身、
ゲットーで育ち、
母を収容所で亡くした経験を持つということですが、
この映画のなかでも、
ユダヤ人たちがしだいしだいにその生活圏を奪われ、
そしてあるときを境に急激にあらゆる権利を剥奪されていく過程が、
否応無しのリアルさで描かれています。

しかしヴラデックの明瞭な記憶は、
さらにその映画の行間を埋め、
いちいちの出来事のスキマを解説していくようです。
連続する日常がすべて恐怖に満ちた「非常」なのです。

ユダヤ人たちはなんの理由もなく人間性を奪われ、
周りの人間たちはなんの理由もなく、
ユダヤ人たちの人間性を奪いました。


***


ヴラデックの妻の生家が裕福であったことと、
なによりヴラデックが
たぐいまれな現状認識力と的確な判断力を持っていたため、
彼とその妻は、あのアウシュヴィッツすらを生き残ります。

しかし、夫婦の幼い子供を含め、
親戚一同はほとんど皆この時代に命を落としました。

「生きのびたのが最良の人たちではないし、
最良の人たちが死ぬわけでもない。無差別なのさ。」



***


過去を聞き出すスピーゲルマンは、
自分と父とのやり取り自体も描写します。

現在の父は、神経質で口うるさく、極端な吝嗇家です。
自殺した妻亡き後、
やはり強制収容所の生き残りの女性と再婚しますが、
その気難しい性格から家庭生活はうまくいっていません。

息子であるアート・スピーゲルマンもまた、
他人の意見を聞き入れない父を持て余し、いらだちながら
ときに常軌を逸したようにみえるその姿を描写しています。


***


現在のヴラデックがイライラして怒りっぽいのに対して、
過去を語るヴラデックの語り口調は淡々として、
当時の感情はあまり表現されていません。
戦争中を生きるヴラデックはむしろ淡々としてみえるほどです。

しかし、
息子が聞き出さない限り
決して口にしなかったアウシュヴィッツの記憶が、
絶え間なくヴラデックをさいなんでいたことは、
死ぬまで、夜うなされて大声をあげていたことでも分かります。

アウシュヴィッツの生き残りであったスピーゲルマンの母は、
1968年に自殺しました。

戦争中も戦争後も、
ヴラデックの唯一のよりどころであったであろう女性。
その口から「もうひとつの歴史」を聞くことは
永遠にできなくなりました…。


***


この作品は、
アウシュヴィッツの生き証人の証言としても貴重ですが、
癒し難い深い大きいトラウマを抱えた人物が、
戦後の世界を生き続けることの困難さを描いた点でも、
非常にすぐれていると思います。


アート・スピーゲルマンと精神科医パヴェルが話すシーン。

 アート :サミュエル・ベケットがこう言っています。
      「あらゆる言葉は沈黙と無のうえについた
      不必要なしみにすぎない」
 パヴェル:そうだ
 アート :でも一方で、彼はそう言ったんです。
 パヴェル:彼の言うとおりだ。そのことを君の本に入れるといい。



『マウス』はたしかに、
語られるべきもうひとつの物語です。



ナチス政権下で実際どんなことが起こったのか、
そしてそれを生き抜くということがどういうことだったのか、
少しでも知りたいという方はぜひお読みください。



『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(1991年)
『マウスⅡ―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(1994年)
作 アート・スピーゲルマン
訳 小野耕世
晶文社



マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語
(1991/08/01)
アート・スピーゲルマン

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マウスII アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語マウスII アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語
(1994/08/01)
アート・スピーゲルマン

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エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン 他

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ココこんなとこ! 〜香雪美術館(神戸市・御影)〜

こんにちは如月東子です。

今日は、神戸市の御影(みかげ)にある
香雪美術館とその展覧会の感想です。


***


香雪美術館は、阪急御影駅から約5分、
JR住吉駅からだと約15分ほどの所にあります。


御影といえば、神戸の高級住宅地ですが、
香雪美術館は、阪急御影駅からほど近い
閑静な住宅街の一角、
長い塀に囲まれた広い敷地の内にあります。
小さなお庭を前に配した高床式のお蔵のような建物です。


香雪美術館外塀
長い塀(中は全部「旧村山邸」のお庭のようです。)


香雪美術館入口
美術館入口


香雪美術館玄関
分かりにくい写真で恐縮ですが、
紅葉の葉叢に隠れたところに玄関があります。


こちらの美術館は、
朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850〜1933)のコレクションを
収蔵・展示している美術館です。

美術館裏には、
重要文化財指定をされている「旧村山家住宅」が
現在も保存されています。

洋館や和館、お茶室等を擁する「旧村山家住宅」は、
広大な敷地に和洋の建物を配する
明治、大正期の邸宅の典型とのこと。

普段は「住宅」のあるお庭部分には入れませんが、
折々にお茶室での茶会が催されているようですし、
春と秋には庭園見学会があるようです。


***


さて、今回開催されていたのは
〈大名茶人 松平不昧の好み〉展です。

松江藩の七代藩主で、
茶人として名高い松平治郷(不昧)
生涯にわたって蒐集した茶道具や、
その好みに沿って作らせた品々が展示されています。

不昧の蒐集した茶道具は目録化されており、
その目録の代表的なものが
『雲州蔵帳(うんしゅうくらちょう)』です。
蔵帳には、それぞれの茶道具の来歴や
不昧公による格付けなどが記載されており、
不昧公の美意識をかいま見ることができますが、
今回の展覧会は、
その蔵帳をもとに選んだ作品が出品されているそうです。

前期・後期あわせて約70点の展示品のほとんどが
香雪美術館コレクションからの展示ですので、
この美術館の蒐集品の質の高さが窺えます。


展示室は1階に1室、2階に1室と
さほど大きくはありません。

70点弱の作品がありますが、
ゆっくり見ても疲れない程度の広さでしょう。

少し低めの展示ケースなので、
作品をよく見ようと思うとしゃがむ必要がありますが、
これは実際の畳の高さを意識しているのかもしれません。

各作品への解説は多めです。
茶器を形容するのに、独特の用語が使われていて
すこし難しく感じるところもありますが、
それはそれで「その世界」を垣間みることができて面白いです。

今回、茶碗・棗は黒や渋い茶のものが多かったですが
(不昧公の好み?)、
香合(こうごう)には華やかなものが多かったように思います。

《祥瑞 瑠璃雀香合》は、
目が覚めるような濃いコバルトの焼き物で、
雀(?)をかたどっていますが、
その羽毛の毛束のひとつひとつが細かく造形されています。

《堆朱 扇の丸香合》《存星 柚子香合》は、
今までみた堆朱の作品の中でも、
非常に細工が細かく繊細なつくり。

夕顔の実をくりぬいて乾燥させたものに
美しく白い花を描いた《庸軒好 回也香合》
不昧公自身が作ったという《青梅香合》
それぞれのどかな優しい美しさがあります。

香合はサイズが小さいためか、
逆にアクセントになるように作るのでしょうか?
非常にヴァラエティに富んで見ていて楽しいものです。


『蔵帳』は、今なお、
茶道具の良し悪しの判断の指針とされているものだそうですから、
今後、茶器を鑑賞する上で、勉強になる展覧会です。


茶道具以外にも、
不昧公自身の書画や
彼と親交のあった酒井抱一の屏風絵・短冊帳なども展示されています。
こちらも保存状態がよく見応えがある作品でした。


***


香雪美術館庭


まだあいにくの雨でしたが、
紅葉や老爺柿が色づき、
寒さの中にも彩りを添えています。


良い作品がそろっていますので、
お時間があれば、ぜひ足をお運びください。


香雪美術館
阪急「御影」駅より徒歩5分
JR「住吉」駅より徒歩15分
会期中無休
10:00~17:00(入館16:30まで)
http://www.kosetsu-museum.or.jp/guide/index.html

〈大名茶人 松平不昧の好み〉展
会期:2014年10月25日~12月23日
http://www.kosetsu-museum.or.jp/exhibition/


今日はこれぐらいで。
それではまた。





 
今日誕生日の画家〜ダフィット・テニールスⅡ世

少しずつ知識を広げていこうということで、
たまに、その日誕生日の画家のことを調べていこうと思います。

今日12月15日に生まれた画家として紹介するのは、
ダフィット・テニールスⅡ世(David Teniers the Younger)です。


***



ダフィット・テニールス(子/Ⅱ世)は、フランドルの画家。

ダフィット・テニールス(父/Ⅰ世)の子として
1610年アントワープに生まれ、おそらく父のもとで
絵画修行を開始しました。
ヤン・ブリューゲル(父)の娘と結婚しており、
義父からも絵画上の影響を受けています。
なお、テニールス家は、アントワープで最も重要な画家一族。

非常に多作な画家として知られていて、
なんと、2000点以上の作品が彼に帰属されているとのこと。



テニールスⅡ世は、1645年には
アントワープの聖ルカ組合の会長に選ばれているし、
スペイン王やオレンジ公ウィリアムなどの有力者から
パトロネージを受けており、
世俗的には非常に成功した人物であったようです。

1651年にはブリュッセルに呼ばれ、
ネーデルラント総督であった
レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒに
宮廷画家として召し抱えられ、
美術愛好家であったヴィルヘルム公のコレクションの
収集・管理も任されました。
それらのコレクションは、
現在のヴィーン美術史美術館の核となっています。


テニールスⅡ世は、まずもって、
農民の生活を描いた風俗画家として名が知られています。

当時の貴族らの肖像画等も手がけたほか、
宗教主題、寓意画などさまざまな主題の作品を描きました。
また、1660年には、ヴィルヘルム公が所蔵する
243点のイタリア絵画を版画化したカタログ
『絵画劇場(Theatrum Pictorium)』を出版しています。

1690年ブリュッセルにて没。



***


代表作とはいえないかもしれませんが、
私が個人的には「絵画コレクションを描いた絵画」が好きなのですが、
下記はテニールスⅡ世の作品だったのですね〜。

ダフィット・テニールスⅡ世レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊美術史美術館

ダフィット・テニールスⅡ世
《レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊》
1651年 美術史美術館
©wikimedia




 
東京都美術館〈ウフィツィ美術館展〉によせて〜その2〜

こんにちは如月東子です。

あと数日で会期終了となってしまいますが、
東京都美術館で開催中の〈ウフィツィ美術館〉
に関連したトピックで書いています。

今日は、小型の聖母子像について。


***


今回の展覧会には、ボッティチェリ作品がたくさんきています。
その中でも今回は、
通称《海の聖母》と呼ばれる作品に注目してみたいと思います。

ボッティチェリ《海の聖母》アカデミア美術館

Sandro Botticelli サンドロ・ボッティチェリ
Madonna of the Sea《海の聖母》
Galleria dell'Accademia, Florence



ボッティチェリの作品と書きましたが、
実際には、この作品の作者について決定的な分かっていないようです。
様式的な検討から、
現在のところボッティチェリに帰属するとされています。

制作時期としては、1475年〜80年。
1444年または45年に生まれたとされるボッティチェリであれば
30歳ぐらいのときの作品ということになります。

作品の大きさは40㎝×28㎝と小型で、
海景をを背景に、
室内に腰掛けたマリアと
その腕の中で子供らしい仕草をした幼児キリストが描かれています。
マリアは全身像ではなく、腰から上だけが描かれます。


こういった形式の、小型で
リラックスした雰囲気の聖母子像が描かれるようになったのは、
実は15世紀に入ってからです。

これ以前の聖母子像は、
威厳に満ちた堂々とした姿でしか描かれるのが通例でしたので、
このような優しく優美で、
子供との間に情愛あふれるイメージというのは、
まったく新しいものでした。


この聖母子の形式をフィレンツェで広く普及させたのは、
アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435年頃 ~1483年)
といわれています。

ヴェロッキオ《聖母子》ベルリン絵画館
Andrea del Verrocchio アンドレア・デル・ヴェロッキオ
Madonna and Child《聖母子》
c. 1470
Staatliche Museen, Berlin



ドメニコ・ギルランダイオ《聖母子》ルーブル
Domenico Ghirlandaio ドメニコ・ギルランダイオ
Virgin and Child 《聖母子》
c. 1475–80
Musée du Louvre



展覧会第1章で特集されていますが、
ヴェロッキオ工房は、
15世紀の第Ⅳ四半世紀に発展した大工房のひとつでした。

ヴェロッキオの工房からは、
レオナルド・ダ・ヴィンチは言うに及ばず、
ペルジーノ、ロレンツォ・クレディ、
ドメニコ・ギルランダイオ、ピエロ・ディ・コジモ
など、
その後の(フィレンツェ)芸術を担う人材が輩出されています。

ボッティチェリは、一時期(1460年代後半?)、
ヴェロッキオ工房で助手として働いていたということですので、
ボッティチェリとヴェロッキオの作風は、
互いに影響し合っていたのだろうと思います。


***


《海の聖母》をみてさらに思い出されたのが、
レオナルド・ダ・ヴィンチ
いわゆる《カーネーションの聖母》です。

レオナルド《カーネーションの聖母》ミュンヘンアルテピナコテーク
Leonardo da Vinci
MADONNA MIT DER NELKE《カーネーションの聖母》
1473
Alte Pinakothek, München


暗く深い色合いと、マリアのもつ独特の情感。
ヴェオロッキオや
その共同制作者であったギルランダイオの作品とは
一線を画するリアリティがあります。
お決まりの型に押さえ込みきれない
レオナルドの指向性が滲み出るようです。


ボッティチェリの「海の聖母」は、
どことなくレオナルド作品を彷彿とさせないでしょうか…?



幼児のどこを見ているのかわからない目つき。
背景の暗い室内と対比的に明るく遥かな光景。
つぶらな瞳の若いマリア。
(レオナルドの《受胎告知》のマリアも思い出されます。)

なによりボッティチェリのマリアは、
この時代の「聖母マリア」としての定型に収まらない、
妙に人間的な表情をしています。

ボッティチェリの前でポーズをとりながら、
見られていることを意識して澄ましたような顔をしている
の若い女の子が見えてこないでしょうか?


ボッティチェリの個性はその後、
独自の様式化された優美な女性像を生み出していきますが、
《海の聖母》は、
初期の硬い表現を抜け出つつも、
「ボッティチェリ様式」を確立する一歩手前の、
過渡的な、特異な一時期を切り取っているように見えます。
(ボッティチェリの作品であるとすれば、ですが…。)


《海の聖母》の制作年代1475〜80年という推定に対し、
《カーネーションの聖母》は1473年頃
(所蔵するミュンヘンのアルテピナコテークの記載参照)。

年代的にはレオナルド作品が先行します。

1470年代前半の作とされる
ヴェロッキオ作とされる《キリストの洗礼》は、
ヴェロッキオが構想し、
実際の作画はボッティチェリとレオナルドが担当した、
ともいわれています。


《海の聖母》を眺めつつ、周辺情報を集めていると、
もしかしてボッティチェリは、
年下のレオナルドを意識(ライバル視?)しつつも、
一時期、感化されてしまったのではないか…?
などと想像がふくらんでしまいます。


***


ちなみに、
《海の聖母》が描かれたとされる1475年〜80年の間に
レオナルドはもうひとつ聖母子像を描いています。

レオナルド《ブノワの聖母》エルミタージュ
Leonardo da Vinci
Madonna Benois 《ブノワの聖母》
1478
The Hermitage, St. Petersburg


さらに独自の道に進んでいます。


***


最後に、ヴェロッキオ工房を継いだ
レオナルドのおとうと弟子
ロレンツォ・ディ・クレディの聖母子像。

クレディ《ザクロの聖母子》ヒューストン美術館
Lorenzo di Credi ロレンツォ・ディ・クレディ
Madonna and Child with a Pomegranate《ザクロの聖母子》
1475〜1480
National Gallery of Art, Washington


全体の構図やマリアの衣装などに、
明らかに「カーネーションの聖母」の影響が感じられます。
同一工房の発展が感じられて面白いですね。


みなさんも、
絵の前で色々な想像を膨らませてみてください。

今日はこれぐらいで。
それではまた。


〈ウフィツィ美術館展〉
会期:2014年10月11日ー12月14日
会場:東京都美術館 企画展示室
http://www.uffizi2014.com/






 
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