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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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展覧会review 山種美術館《琳派と秋の彩り》

こんにちは如月東子です。

渋谷区広尾の山種美術館で開催中の
特別展《琳派400年記念 琳派と秋の彩り》
展覧会レビューです。


***


今年は、
「琳派」の祖とされる本阿弥光悦が、
徳川家康から拝領した鷹峯(京都)の地に「光悦村」を開いてから
400年目の節目の年にあたるということで、
各地で琳派関連の展覧会が催されているようです。

本展覧会もその一環。

江戸時代の琳派作品を展示するとともに、
山種美術館が所蔵する日本の近代画家の作品を並べ、
そこに琳派からの影響をさぐる、という構成です。


「第1章 琳派の四季」では、
光悦や俵屋宗達による琳派オリジンとよべる作品からはじまり、
宗達の孫弟子となる喜多川相説
尾形光琳の弟である尾形乾山の作品を経て、
江戸の地において琳派を継いだ酒井抱一
その弟子達(鈴木其一、酒井鶯蒲、田中抱二)の作品が並びます。

江戸時代の琳派の作品は30点弱。
そのうちおよそ半分は、
江戸後期の抱一およびその弟子らの作品です。


「第2章 琳派に学ぶ」においては、
日本近代の画家ー例えば、小林古径、加山又造、
菱田春草、速水御舟
などーの作品に、
強い琳派学習の跡を読み取ります。

その影響は、
草花のモティーフの使用や、モティーフの切り取り方、
たらし込みといった技法にとどまることはなく、
本展で紹介される加山又造の言葉により、
美の理念にまで及んでいることがわかります。

加山又造は、宗達の《扇面貼交屏風》について、
このような言葉を残しています。


絵の何かの部分が急に裏返しになってしまったというような
複雑な美のためか、とにかく一つの画面でこのように多くの
世界とゆったりとしたつながりを持ち得、そのどれへも大胆
にさりげなく人を引きずり込む方法を明瞭に表出した高度の
絵画はほかにはないのではないかと思う




「第3章 秋の彩り」では、
ひきつづき山種美術館のコレクションから、
秋をテーマにした作品が並びます。


【この展覧会の特徴】

今回の展覧会の面白い点は、
実際に近代画家の作品と琳派作品を並べおいたことでしょう。

琳派の作品自体はさほど多くはなく、
しかも、数としては江戸琳派への偏りがあるため、
「琳派の特徴」を捉えるのは難しいですが、
琳派のその後の広がりを知り、
日本の近代絵画を観る視点を得るには
よいかもしれません。


【私のみどころ】

① 宗達の《犬図》と小林古径《狗》の対比

宗達による、
奇妙なほどの薄墨によるつかみ所のない水墨表現は、
抱一などの江戸琳派のキリっとした作風とは
一線を画しますが、
古径の筆により、
あのぽっかりとした無邪気な表現が
みごとに再現されています。

② 菱田春草《月四題のうち「秋」》

こちらも水墨作品ですが、みずみずしい美しい作品です。
琳派を思わせる画面の切り取り方と、
近代的・合理的な画面構成とが絶妙な関係です。



展示の総数は、前期後期あわせて64点。
小振りな展覧会ですが、
秋らしい作品が多く、季節が感じられる展覧会でした。


山種美術館
特別展《琳派400年記念 琳派と秋の彩り》
2015年9月1日ー10月25日

http://www.yamatane-museum.jp/




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旧イタリア大使館別荘@日光(その2)

こんにちは如月東子です。

栃木県日光市の中禅寺湖畔、
旧イタリア大使館別荘訪問記のつづきです。

本邸前面

(前回の記事はこちら↓)
http://kisaraghitouko.blog.fc2.com/blog-entry-91.html


【建築家アントニン・レーモンドという人】

この建物を設計したのは、
アントニン・レーモンド(Antonin Raymond)という
建築家です。

レーモンドは、1888年、
当時はハプスブルク帝国のもとにあった
チェコスロバキアに生まれました。

プラハ工科大学で建築の教育を受けた後、
アメリカに渡り、カス・ギルバートの事務所に入ります。
フランク・ロイド・ライトのもとで働いた後、
ニューヨークで独立します。

その後、日本で帝国ホテル建設の任にあたっていた
フランク・ロイド・ライトの招きに応じて
1919年来日し、その後は戦争中の一時期をのぞき、
その活躍の場を日本に見出しました。

ジョサイア・コンドルと並び、
「日本近代建築の父」とも称されるそうですが、
一般には、コンドルやライトほど知られた名前ではないような気がします。


レーモンドが日本の建築に与えた影響もさることながら、
レーモンドは、本当に日本の建築を愛し、
そこから大きな影響を受けた建築家でもありました。

過去の踏襲と慣習のみが支配する20世紀初頭のヨーロッパから、
自由で新しい建築を求めてアメリカに渡ったレーモンドは、
そこにヨーロッパの亜流を発見して失望します。
そのレーモンドが理想の建築を見出したのが日本でした。


レーモンドは日本に来たときの驚きをこのように述べています。

私が日本にやってきたころ、つまり今から40年前の日本の民家には
驚くべき綜合が、そして完全さがあったものです。それは世界に類を
見ないものでした。家は大地から生えてきたキノコか樹木のように、
自然で真実な姿をみせていました。内的機能に全く忠実で、構造体は
全て堂々と外側に表現され、構造体自身が仕上げを兼ねているばかり
でなく、それが唯一の装飾でもあるのです。そこに使われている材料
はすべて真の職人、真の芸術家である職人の手によって選ばれ、細工
された自然のままの素材なのです。建物の内外を問わず、すべては簡
潔で直裁で、機能的で、しかも経済的です。
(『現代日本建築家全集1』(1971年 三一書房)p.154-155)



レーモンドの建築史は、
当初、ロイドら西洋近代の合理的建築の強い影響を受けながらも、
日本の伝統的な建築に学びながら、やがて、
みずからの考える「建築美」を実現していった軌跡でした。


第2次世界大戦中アメリカに戻ったレーモンドは、
建築界において、
バウハウス哲学に基づいた合理主義が席巻しているのを見出します。
そしてそれに反発します。

バウハウスの建築といえば、
「簡潔で」「機能的」なイメージがありますが、
それはレーモンドの理想とはかけ離れたものでした。

たしかに私もバウハウス建築の展示を見たことがありますが、
論理的・画一的な設計に違和感を感じたのは確かです。
(十把一絡げにしてはいけませんが、)
バウハウスの家は、かっこいいかもしれないけど、
ひとことで言って「住みづらそう」。

レーモンドの合理性は、そうではなくて、
「構造と機能に主眼をおき、外側から内側へではなく、
内側から外側へ向かってゆく設計態度」

(前掲書 p.154)

理論・観念ありきの建築をレーモンドは嫌ったのです。


構造のシンプルさ、素材そのままの美しさ、
機能がそのまま装飾であること。
使いやすい空間、自然環境の取り込み、
そして職人に対する信頼。
それらは、イタリア大使館別荘をみるとすべてわかります。


日本建築の中に「何か絶対的な理念」を見出したレーモンドは、
それをこのように表現しました。

「最も簡潔にして直截、機能的にして経済的、
かつ自然なるもののみが真に完き美を有する」

(前掲書 p.155)



・・・そのように美しかった日本の建築。
翻って現代の建築状況を考えると残念な気持ちにならざるを得ません。
かつての日本建築のうちに
建築のイデアすら見出したレーモンドの理念は、
現代の日本の建築を批判的に照射しているようにも思えます。


1976年まで生きたレーモンドは、
日本で数多くの建築を残していきました。

それは、個人の住宅をはじめとして、
教会や病院、各国大使館、
そして複合的な建築群としての大学の設計にまで及びます。

霊南坂に建てた自宅、
リーダーズ・ダイジェスト東京支部などの
画期的で名高い建築はすでに現存しませんが、
聖パウロカトリック教会http://www.karuizawa-stpaul.org/
聖オルバン教会http://www.nskk.org/tokyo/church/oruban/oruban.htm
東京ゴルフ倶楽部クラブハウスhttp://www.shiraishi-ken.co.jp/887
群馬音楽センターhttp://www.takasaki-bs.jp/center/ongaku_center.pdf
南山大学東京女子大学星薬科大学そのほかの大学など、
様々なところにレーモンドの名を見出せます。

彼の作品リストを眺める中に、
私自身の出身校の名を発見し、
あらためてその作品の幅広さと身近さを実感しました。



【国際避暑地 NIKKO】


旧イタリア大使館別荘には小さな副邸があり、
こちらも外観と内装の一部が再現されています。
その中は現在「国際避暑地歴史館」となっており、
「国際避暑地」であった日光を紹介する
パネル展示やビデオなどを見ることができます。

副邸


日光に行くと、
確かに海外からの観光客と思しき人たちの姿を
数多く見受けます。

バスに乗っても、
英語、韓国語、中国語の案内が流れますし、
日光は現在でも確かに「国際的」観光地といえると思います。


でも、日光がかつて「国際避暑地」として、
多くの駐日外国人達が交流の場としていたことを
知っている人は多くはないのではないでしょうか?

明治から昭和初期にかけて、
中禅寺湖畔は東京からの外国人達の避暑地として
栄えていたというのです。

イギリスの外交官をつとめたアーネスト・サトウ
実業家のトーマス・グラバー(長崎グラバー邸が有名)が別荘を建て、
釣りや登山などを楽しんだそうです。
特にグラバーは、湯ノ湖・湯の川に
カワマス(それまでは日本にいなかったよう)を放流し、
日本にイギリス式の釣りを伝えた人。
奥日光は「日本フライフィッシングの聖地」とも言われます。

その後、昭和初期にいたるまで、
中禅寺湖畔には各国の外交官が別荘を持ち、避暑に訪れたため、
「夏は外務省が日光に移る」とまで言われたそうです。

ヨットも盛んで、
毎年夏には中禅寺湖でヨット大会が開かれたほか、
大使もちょっとした移動には、ヨットを利用したといいます。


イタリア大使館のほかにも
当時の繁栄を中禅寺湖を囲むように点在する建物群があります。

復元された「中禅寺湖畔ボートハウス」、
現在は、公園として整備されている
グラバーの別荘「西六番園地」には、
当時の煙突が残り、かつての姿を偲ぶことができます。

また、現在進行中のプロジェクトとして、
旧イギリス大使館別荘(かつてのA.サトウの別荘)を
復原する工事が進んでいて、
来年にも公開されるようです。
イギリス大使館別荘は、イタリア大使館別荘のすぐ隣ですから、
今後はあわせて楽しめそうですね。


現在も歌が浜の手前には、
現役のフランス大使館別荘、ベルギー大使館別荘が
その瀟洒な姿をのぞかせていました。
(見学は不可)


***


帰り際には、中禅寺湖の由来にもなった
中禅寺に立ち寄りました。

中禅寺

奈良時代創建の古いお寺で、立木観音が有名。
なんと土に根付いたまま彫られ、
現在も根が土に埋まっているという千手観音です。


「中禅寺湖温泉」のバス停までに戻り、
さらにそのまま5〜10分ほど歩くと華厳の滝。
観瀑体験も久しぶりです。

華厳の滝


1泊2日の日光旅行。
よく歩きました・・・!

これから紅葉の季節。
日光旅行を考えている方も多いかもしれません。
その機会には、
ぜひ旧イタリア大使館別荘にまで足を伸ばしてみてくださいね。


【旧イタリア大使館別荘へのルート】

東武日光駅→(バス約40分)→中禅寺湖バス停
→(徒歩約1時間)→旧イタリア大使館別荘
→(徒歩約30〜40分)→中禅寺
→(徒歩約20分〜30分)→中禅寺湖バス停
→(徒歩約10分)→華厳の滝
→(バス約40分)→東武日光駅


旧イタリア大使館別荘
開園期間:4月1日~11月30日
開館時間(本邸及び歴史館の利用)
4~6月、9~11月:午前9時から午後4時
7~8月:午前9時から午後5時
TEL 0288-55-0880 (日光自然博物館)
http://www.nikko-kankou.org/spot/117/(日光旅ナビ)
http://www.nikko-nsm.co.jp/building/italia(日光自然博物館)







 
旧イタリア大使館別荘@日光(その1)

こんにちは如月東子です。


今回は、栃木県の日光市、
中禅寺湖畔に佇む旧イタリア大使館別荘訪問記。

その建築家アントニン・レーモンドについても
少し調べてみました。


【東京から日光へ(電車)】

私が訪れたのは9月の第1週目。

その次の週には、栃木県や茨城県に大雨が降りました。
日光市も大変な被害を受けたようですが、
その後、復旧は進んでいるでしょうか・・・?


さて、出発当日の朝の11時、
青春18切符を片手に東京都内を出発。
鈍行を乗り継いで、
午後の2時過ぎにJR日光駅に到着。
(ちなみに、青春18切符で行くよりも
東武線の方が運賃は安いようです。)


ホテルに荷物を預けて、東照宮へ。
多分、小学生以来です。

二荒山神社の境内ざっと見て、
東照宮の中へ足を踏み入れました。


当時は気がつきませんでしたが、
五千余りあるという建築彫刻のみごとさは、
やはり並のものではありません。

教養がなくてわかりませんが、
それぞれの彫像に故事や物語的背景があり、
象徴的意味に満ちあふれています。

東照宮内宮


江戸時代になると仏像彫刻は魅力が薄れるような気がしますが、
建築に付随する彫刻の凄さは増すような気がしますね。
(例えば、「波の伊八」など。)

東照宮内は、ゆっくり見て回って、1時間半くらい。
輪王寺や東照宮宝物館などは、残念ながら今回は見送りました。



【日光駅〜中禅寺湖畔(バス)→徒歩】

さて翌日、
東武日光駅前を8時半頃に出発するバスに乗り、
中禅寺湖へ向かいました。

いろは坂を揺られて、40〜50分ほどで、
「中禅寺温泉」という停留所終点に着きます。


2〜3分歩くと中禅寺湖。

中禅寺湖


男体山に至るのであろう二荒山神社の大鳥居をあとに、
湖に沿って2㎞強ほどのところに、
お目当てのイタリア大使館別荘はあります。


7〜8月の間は「半月山行」というバスが出ていて、
別荘前までバスがつれて行ってくれるようなのですが、
9月以降は運休。
車がなければ、歩いて行くほかはありません。
また、車で行けるのも、途中までです。
道は舗装されていて歩きにくいことはありませんが、
歩くのが苦手な方は、すこし大変かもしれません。

幸いよく晴れた日でしたが、湖から吹き付ける風は冷たく、
手持ちの上着を着込んで風をしのぎつつ、
ほとんどひとっこ一人いない道をひたすら歩きました。


「愛染かつら」で有名な中禅寺の佇む歌が浜から、
「イタリア大使館記念公園」のエリアに入ります。
車道の横に、遊歩道的な道が出来ています。

イタリア大使館別荘記念公園遊歩道


右手に打ち寄せる波の音を聞きながら、
さらにずんずん歩いて行くと、道は林の中に。

ふと目の前を見ると、鹿が4頭ほど草を食んでいます。
野生の鹿でしょうか?
立派な角が生えていました。

鹿


小さな橋を渡ると、
右手に一群の建物がみえてきます。

それが旧イタリア大使館別荘本邸副邸です。


副邸は現在、国際避暑地だった日光についての資料館になっています。

副邸2


本邸は少し下がったところにあります。

本邸入口へ


建物内にはすぐには入らず、本邸の脇を通り、
その大きな煙突を眺めながら、湖の方に出て建物を眺めました。

本邸脇

デッキ


穏やかな形の山に囲まれた
澄んだコバルトブルーの穏やかな湖面、
白い砂利の浜。

湖2

湖 


そのほとりに石垣を積んで一段高く、
小さな木造2階建ての建物が建っています。

本邸前面

非常にシンプルな形の建物です。

でも、壁面には、
独特の格子状の模様が浮かび上がっています。
外側も内側もすべて杉皮に覆われている、
これがこの建物の大きな特徴なのです。

全面


【大使館別荘のなかみ】

しばらく外観を眺めた後、館の中に入ります。
入館は無料です。
ただ、保存のために、
任意の額(100円程度)の寄付をお願いされます。


一階入ってすぐは、応接の間。
イタリア生地のソファーがゆったりと置かれています。

応接


応接を真ん中に、明確な仕切りもなく、
右手に公務スペースの書斎、
左手に食堂があるのが面白い設計。

食堂

書斎


実は一階は、ほぼワンスペースでできています。

本邸のプラン


両端には、石造りの大きな暖炉がついていて、
威厳がありますが、
それ以外は非常に軽やかで自由度の高い空間。

この横長の長方形のスペースが、
全面ガラス窓になった広縁(広い縁側)につながり、
目の前の中禅寺湖の光景をそのまま部屋の中に取り込みます。

奥行きの狭い建物であり、しかも天井も低いですが、
部屋ごとの仕切りがない上に、窓が多くて明るい
心地よい空間です。

非常にシンプルな構造ですが、
単調にならないのは、
壁や天井にはふんだんに使われた杉皮のせいでしょう。

市松張り、網代張り、矢羽張りなど、
杉皮のさまざまな編み方がみられます。
縦半分に割られた竹が、アクセントになります。

書斎天井 食堂天井a

応接天井

このひとつの素材によって生み出される多様な模様によって、
本来なら平板な空間のはずですが、
変化にとんだ、リズミカルな印象を与えます。

大きく3つに分かれたスペースごとに
壁や天井の模様が変化するので、
全体としてはオープンな一つのスペースでありながら、
立つ場所によって異なった空間感が醸し出されています。


アンチーム(親密)さと開放感と、
一種の礼儀正しい正確さが共存したユニークな空間。


写真撮影自由、
ソファー等にも座ることができます。
このままずっといて、ゆっくり本でも読んでいたい気持ちになります。


***


さて、2階。
こちらはほぼ完全にプライベートな空間です。


大きく4部屋に分かれています。
湖側に3部屋、大使の寝室や子供部屋など、
ベッドや鏡台やクローゼットの置かれた部屋が並びます。

それぞれの部屋は、
ベッドカヴァーや、カーテン、家具の色などによって、
「青の部屋」「ピンクの部屋」などと呼ばれていたそうです。
現在も、それぞれの部屋の名前に合わせた色合いの
小さな花柄のカーテン等がかかっていて、
当時をしのばせます。

二階ピンク

二階青大使の部屋


それにしても戦前のゆがんだガラスっていいですよね。
(写真だとあまり分かりませんが…)
ゆがんだガラス


***


もう一室は湖と反対側に設けられた「休憩室」。
奥行きは2メートルもないくらいに思えましたが、
こちらも窓が大きく取られ、
林の緑がほどよい陰りを提供しています。


ところで実は、本建物は、建築当時のものではありません。
昭和3(1928)年に建てられたのち、
平成9年まで実際に歴代イタリア大使が使用していたそうですが、
かなりの老朽化から解体され、
なるべくもとの状態を保った形で復原されたものです。

2階の個室のうち2室、そして休憩室は、
さわらなど栃木産の木材が使用されていますが、
それは復原時には杉皮を全室に使うのが
難しかったからのようです。

往時は、2階も全て杉皮で覆われていたのです。
今となっては実現がほぼ不可能な
貴重な建物です。


色々な細部も楽しいですよ。

錠(ねずみ) 錠(ベスト) 錠(鳳凰)
雨戸 木のサッシ


***


さて、建物には上記のようなメインの部屋以外に、
観光地となるにあたって設置されたと思われる部分もあります。

caffe como(カッフェ・コーモ)という喫茶スペースがある、
と事前に調べていましたが、
喫茶店というよりは、
お土産売り場で飲み物を購入し、
飲食可能な一室で飲むことができるというもの。
メインとなるような食べ物などはないようですので、
おなかは別の所で満たしていきましょう。

なお、このお土産売り場は
かつてのキッチンだった場所だそうです。

最後に・・・、
お手洗いは、完全に現代風の設備ですが、
壁や天井はやはり美しい杉皮張り。
おみのがしなく。


次回は、
この建物を設計したアントニン・レーモンドについて、
そして国際避暑地であった日光について書いていきます。


旧イタリア大使館別荘
開園期間:4月1日~11月30日
開館時間(本邸及び歴史館の利用)
4~6月、9~11月:午前9時から午後4時
7~8月:午前9時から午後5時
TEL 0288-55-0880 (日光自然博物館)
http://www.nikko-kankou.org/spot/117/(日光旅ナビ)
http://www.nikko-nsm.co.jp/building/italia(日光自然博物館)




 
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