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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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お調子者フジタは戦争になにを見たのか?

映画「FOUJITA」の感想です。


小栗 康平監督
2015年
日本・フランス合作
126分



オススメ度  ★★★☆☆
みやすさ   ★☆☆☆☆
アートっぽさ ★★★★★
完成度    ★★★★☆




***


もっと素直な伝記映画を予想していったら、
かなり「芸術映画」テイストが強かったです。


FOUJITA、すなわち藤田嗣治は、1886年生まれの画家。
新時代の芸術が次々と生まれた
1920年代のパリで名を成し、一躍時代の寵児となりましたが、
第2次世界大戦中は日本に戻り、数々の「戦争画」を描きました。
戦後、それらの作品が翼賛的であったとの批判を受けて、
日本を離れ、フランスに帰化。
二度と日本には戻らず、フランスで没しました。


***


前半は、既にパリで成功をおさめ、
刹那的で享楽的な生活を送る藤田の生活を、
後半は一変、
第二次世界大戦中の日本に戻って「戦争画家」となり、
疎開先で敗戦を迎えるまでの時期を描いています。


説明的場面はほとんど排され、
藤田の生涯を全く知らない人には話が飲み込みづらいと思います。


映像はかなり凝っていて綺麗です。
日仏合作の映画ですが、
ヨーロッパ映画を思わせる美しい映像が観られます。


***


前半は特に、フレンチ・テイストです。

パリの芸術コミュニティの中で、
「FOUFOU(フーフー、お調子者)」とあだ名された藤田が、
女を踏み台にしながら成功し、
巧みなセルフ・プロデュースによって、
常に耳目を集めようとするしたたかな姿がうまく描かれています。

ただ、実際にヨーロッパ人が作る作品より、
テンポが緩慢で重苦しい印象です。
乱痴気感がなく、「冗談」も狙った感じで、
すべてがかっちり真面目過ぎる感じ。



後半の舞台は、パリから一転して、戦中の日本。
パリの瀟洒で豊かな生活から一変、
「前近代」としかいいようのない日本の田舎の風景。

視覚的な落差は大きいです。


このギャップによって、観ているほうはこう思います。

ヨーロッパの生活に馴染み、
ヨーロッパ人と渡り合ってきたフジタという我の強い男が、
戦時下の日本の社会に適応できるものだろうか…?


しかし、藤田嗣治という人は、そういうことができる
「FOUFOU」な特性を持ち合わせた人物。

彼が描く対象は、スタティックな白磁の女性ヌードから
悲劇的物語を語る群像表現へと変貌。


軍服をまとって『アッツ島の玉砕』展示の横にたち、
絵を文字通り「拝み」にくる人々を観察する藤田。

自分の絵画を売り込むに長け、
自分の能力に強い自負を持った藤田は、
戦争遂行という大きな物語を得て、
絵画史に残る「歴史画」制作の絶好機会と捉えたでのでしょう。


「絵画はたとえ物語が消え去っても永遠に残ります。」


ヨーロッパ事情にくわしかったであろう藤田が、
日本の戦況をどう読んでいたかはわかりませんが、
敗戦になっても、戦争の記憶が完全に過去になっても、
自分の絵は残る、と確信していた。

この映画では、フジタはそのような人物です。


後半は、前半に比べても淡々とした場面が続きます。
戦争中とはいえ、疎開先の生活のためか、
藤田の生活はほとんど穏やかといってもいいくらい。


一方で、夢か現かわからない場面も多くなります。
藤田自身が、疎開先の風景や伝説から創り出された、
土俗的な幻想に迷い込んでいたかのようです。


この現実と幻想がまじる構成によって、
「戦争」は、フジタにとって、
まるで「狐にばかされたこと」のように描かれます。

この戦争表現はかなり変わっていて面白いと思います。



エピローグは、
藤田が最晩年に手がけた、
ランスのチャペルの壁画が画面に映し出されます。

この辺りは、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』
を思い出す方も多いかと思います。


パリでの栄光と、
「歴史画」に対する期待と戦後の失望を経て、
故郷を捨てた藤田が、最晩年に何を思ってこの絵を描いたのか。

戦後の彼が罪の意識に苛まれた、とは思い難いのですが…。


***


すんなり観られる映画ではありませんが、
折にふれて思い出されるような、不思議な映画です。

藤田の展覧会や本を読んだりする機会に、
あわせてご覧頂くといいのではないでしょうか。







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ジョージ・クルーニーが二枚目すぎやしないだろうか?

映画「ミケランジェロ・プロジェクト」鑑賞


オススメ度★★☆☆☆


原題 The Monuments Men
2014 アメリカ 118分
監督 ジョージ・クルーニー



***


第二次世界大戦下のヨーロッパ、
芸術作品は容赦ない爆撃と
ナチスドイツによる略奪にさらされていた。

そのことに危機感をつのらせた
アメリカの美術史家が、
ルーズベルト大統領にかけあい、
学芸員や芸術家等をあつめて
美術品救出のための特殊部隊を編成、
実際に戦場に赴いた・・・。


この実話をベースに、
ジョージ・クルーニーが監督し、
軽妙で一風変わった戦争映画を作りました。


【感想】
題材自体は非常に面白いのだが、
コミカルで軽妙な演出および
豪華だが知的には見えにくいキャストと、
ストーリー背後に見え隠れするメッセージとの食い合わせがわるく、
全体にチグハグな印象を受けた。


**

まず、出だしがスピーディーすぎたのかもしれない。

ジョージ・クルーニー扮する
ハーバード大学付属美術館館長のフランク・ストークスが
戦争遂行中のルーズベルト大統領に直談判し、
全米で仲間(モニュメンツ・メン)を勧誘していくところから
映画がはじまるのだが、
このあたり、スピードがはやすぎて、
だれが誰だか理解できない間に話が進んでしまった。
(私の脳の速度が遅いだけかもしれない。)

ジョージ・クルーニーがまず誘うのは、
メトロポリタン美術館で学芸員を務める
マット・デイモンだが、
背景が飲み込めていなかった私は、途中まで、
この二人は軍歴があり、
そこでの旧友なのだと思ってしまった。

だって、外見的に、二人とも強そうなんだもん。
軍服なんか着たら、職業軍人にしか見えない。

でも本当は、だれも軍隊経験がない、という設定らしい。


今回の映画で、
プロジェクトメンバーとして取り上げられたのは7名の男性だが、
(クレール・シモーヌ役をのぞく)、
みなどうしてもそれなりの経験のある軍人さんに見えてしまう。

年齢や心身の障害などによって、
普通の兵士でないことを示そうとしているけど、
ちょっと不十分だと思う。

軍服を着ていても、若くても、
その会話や立ち居ふるまいによって、
高等教育を受けた知的エリートや芸術家が本分だ、
という印象を与えてくれないといけないと思うのだが
(というのも、そのギャップがこの映画のミソのはずだから)、
仲間同士のやりとりのコミカルさやフランクさを優先しているせいか、
ただのちょっと変わった任務を帯びた
のんびりした戦闘員に見えてしまう。


**

この軽妙な演出は、
死地に赴く彼らには重い覚悟があることや
(ストークスの仲間に向けた演説やモノローグなど)、
彼らを、実際に戦場で命をかけて戦う兵士と同じだけの犠牲を払った
「英雄」として描こうとする意図がみえること
(アル中の歴史家の死の場面やクリスマスの野営シーンなど)
との食い合わせが悪いような気がする。


**

何度かストークスの口を通して語られる
ストーリー背後の「大メッセージ」も
この映画のノリにのることを躊躇させるところがある。

その「大メッセージ」とは、
「何百年の時を経て残された芸術作品は尊く、
それを守ろうとする我々の努力は
人命と同等かそれ以上に尊い」
ということ。

根源的に、
芸術作品も人間の生命も、
一度失われては二度と取り戻せないものである。
どちらも失われるべきでないものである。

ただ、「人命にくらべたら芸術作品など取るに足りない」
というのは一般的な見解だと思う。

だから、
「戦争が終われば、人はまた増える。
しかし芸術作品は失われてしまえば永遠に戻らない」、
とストークスがひとりごちる時、
私のように芸術に価値を置く人間であっても、
ちょっとギョッとしてしまう。

それが、一般的な見解を超えての
ジョージ・クルーニーの意見である、というなら
それはそれで全然いいのだが、
このメジャー受けするような映画の雰囲気との間には、
どうしても大きなギャップがあり、
そのせいで、
ノリのいい話の途中でこのメッセージがはさまれると、
観る者は一瞬混乱してしまうのだ。


「文化的価値があるもの」の多くは、
大衆にとっては取るに足らない。
そこに、読み解くべき膨大で唯一無二の歴史や
復元不可能な美と技術が封じ込められていたとしても。

ジョージ・クルーニーが、
「文化的価値」やそれを大切に思って命を賭して
戦った人たちのことをを皆にわかってもらいたくて、
この映画をつくったのは分かるけど、
映画全体としては(言葉としてではなく)、
そのメッセージを上手く伝えられてない、
というのが私の感想だ。


**

まあ、話はちぐはぐとしてはいるが、
「サスペンス」的要素によって
映画はそれなりの推進力をたもっている。

そのサスペンスとは、
①ナチスは、占領地(フランス、ベルギー等)から奪った
 芸術作品をどこに移送し、保管しているのか?
②敗戦色の強まったドイツ軍が芸術作品を破壊するより早く
 作品を見つけ出すことはできるのか?
③反ドイツ側で参戦してはいるが、
 戦利品として兵士達に芸術作品の略奪を許しているソ連軍より先に、
 作品を見つけ出して、移送することができるのか?


サスペンスを最後まで保ちつつ、
軽快なスピードで繰り広げられる展開。

史実だと思ってみていると、
「えー、ホントにこんなことがあったの?!」と驚いたが、
パンフレットを読む限り、事実とは遠いようだ。

映画は下記のノンフィクションに基づいている。
Robert M. Edsel著
The Monuments Men:
Allied Heroes, Nazi Thieves,
and the Greatest Treasure Hunt in History

(邦題『ミケランジェロ・プロジェクト』)


「モニュメンツ・メン」は、
1943年6月、アメリカ大統領ルーズベルトが承認した
戦闘地域に置ける記念的建造物、美術品、公文書の保全
に基づいて設立された委員会が組織した特殊部隊
MFAA(the Monuments, Fine Arts, and Archivesの略)のこと。

「Monuments Men」と銘打つHP(著者エドゼルのHP?)をみると、
MFAAは、13カ国345人の美術関係者が組織していたとのこと。
そして、組織は大戦後6年ほど存続し、
作品をもとの所有者の手に返還する作業が続けられたという。


登場人物には、それぞれモデルとなる人物はいるが、
ジョージ・クルーニーが、
それぞれ独自のキャラクターを作り上げたらしい。
ストーリーもかなり違うのだろうと思われる。

原作の本はまだ読めていないが、
是非読んでみたいと思う。


**

最後に、キャストについて。

フランス人学芸員役のケイト・ブランシェットが
少し気持ち悪い女性に見えたのが気になった。

そもそもは、
男性があまり興味をもたなそうな地味な、
でも勇敢で知的(”フランス風なエスプリもある”)な女性、
という役柄だろうと思う。
でも、それには、
ケイト・ブランシェットはゴージャスすぎる。
ムリに役に合わせようとしすぎて不自然になってしまったのか?
ここはフランス人女優を使えばよかったのに。

それにしても、この映画のスクリーンの中で、
ジョージ・クルーニーは2枚目すぎる。
ハンサムを拝めるのはありがたいことだけど、
でもやっぱり悪目立ちしている。

個々の俳優はみな実力派だけど、
全体的にキャスティングが合っていなかった、
ということか・・・。


**


ハリウッドよりは、
ヨーロッパでつくってもらいたかった映画かもしれませんね。

でも、MFAAという存在へのイントロダクションとして、
ヨーロッパ美術に興味がある人は、
絶対観た方がいい映画だと思います。



【参考】
・Monuments Men
http://www.monumentsmen.com/the-monuments-men/heroes

・映画パンフレット







 
展覧会review 三菱一号館美術館《プラド美術館展》

こんにちは、如月東子です。

東京丸の内にある三菱一号館美術館で開催中の
《プラド美術館展〜スペイン宮廷 美への情熱》
の感想です。


***


プラド美術館が所蔵する作品群の中から
時代区分ごとに、それぞれ時代の特徴を示す作品が
100点ほどピックアップされています。


展覧会の構成は以下のとおり。

Ⅰ 中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活
Ⅱ マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン
Ⅲ バロック:初期と最盛期
Ⅳ 17世紀の主題:現実の生活と詩情
Ⅴ 18世紀ヨーロッパの宮廷の雅
Ⅵ ゴヤ
Ⅶ 19世紀:親密なまなざし、私的な領域


ルネサンスのちょっと前から、
19世紀に至る時代をカヴァーします。


特徴的なのは、「小品」が選ばれていること。

大きいものでも120×270㎝くらいまでの作品で、
天井画等の下絵(ポツェット)も多数含まれています。



【この展覧会の特徴】

本展は、2013年にプラド美術館で開催、
翌年バルセロナを巡回した展覧会の
日本向け再構成版。

会場内の作品解説なども、
もとの展覧会のカタログなどから要約したものだそうです。


スペインでの展覧会名は、
La belleza encerrada(=the captive beauty)

「捕われた美」、あるいは「閉じ込められた美」。

…小さい画面の中に、時代の美が濃密に閉じ込められた、
そんなイメージかもしれません。


スペインでの展覧会のカタログが置いてあったので
のぞいてみましたが、
スペイン・ヴァージョンは、日本版の2〜3倍の作品が
出展されていたもよう。
日本版は、よりダイジェスト的な内容だと思われます。

スペイン版のカタログ図版の中には、
「これも出品してくれていたらな〜」と思う作品も見受けられましたが、
もちろん地理的な制約も金銭的な制約もあり、
全てをそのまま再現するのは難しいのでしょう。

逆にいえば、自館の作品を良く知るキュレーターが
さらに厳選して選んだとも考えられる訳です。
確かに、時代の特徴をつかんだ良品がそろった展覧会
といってよいと思います。

画家一人一人についてのパネルがあり
全般的に解説が多めです。
(三菱一号館はいつもその傾向が強い気がします。)
美術史の概説の勉強にはもってこいです。



【私のみどころ】

ヘラルト・ダーフィット
《聖母子と天使たち》(1520年)


ダーフィット聖母子

ダーフィット[Gerard David 1450/60年〜1523]
主にブルッヘ(ブルージュ)で活躍した画家。

おなじく今回出品のあったメムリンクから、
多大な影響を受けたと言われます。

ぱっと見はわかりませんでしたが、
近くに寄ってじっと見つめてみると
そのマリアの表情は、
つつましやかな甘美さと優しさに満ちあふれていて
すっかりうっとり見とれてしまいました。

ラテン系(スペインやイタリア)に比べて、
ネーデルラントやドイツの女性表現は、
ちょっと優美さやふくよかさに欠けるように思う時も多いですが、
北方にもこんな可愛らしいマリアがいるのですね。



ニコラ・プッサン[1594〜1665]
(Nicolas Poussin)
《ノリメ・タンゲレ》


プッサンノリメタンゲレ


とりあえずプッサンがきていると嬉しくなります!

この画家の作品は、分析的に観て考えるのに向いている気がします。
かなりなスペクタクルな場面であっても、
画面自体が小さいので
構図や色の配置、人物のポーズと背景の関係などを、
考えやすいのかもしれません。

とりあえず、いくら見ても見飽きません。

しかし、この絵、人物を画面の中心線に置いてもいいように思うのに、
なぜ左に寄せているんでしょうか・・・?



アリアノ・フォルトゥーイ・イ・マルサル[1838−1874]
(Mariano Fortuny Marsal)
《フォルトゥーニ邸の庭》(1872−77)
《ポルティチの浜辺のヌード》(1874)
《日本式広間にいる画家の子供たち》(1874)


イ・マルサル


スペインの印象派の画家のようです。

南欧の強い光と鮮やかな色彩が、
印象派の技法に非常によくマッチしています。
ジャポニスムの影響を感じる作品もありますが、
それ以前に、そもそもスペイン文化の中にある
エキゾチック(非ヨーロッパ的)な雰囲気が感じられます。

フランスの印象派とはひと味違う鮮烈さを味わえる作品たちです。


***


全般にはヨーロッパ絵画の概説的な構成だと思いますが、
スペインという地域性・歴史性が見え隠れし、
ユニークな印象を残す展覧会でした。


三菱一号館美術館《プラド美術館展〜スペイン宮廷 美への情熱》
2015年10月10日〜2016年1月31日






 
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