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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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「新印象派」との適切な距離

こんにちは如月東子です。

今日は、現在あべのハルカス美術館で開催中の
〈新印象派展〉の感想です。


ご存知のない方に少しだけ説明しますと、
新印象派/新印象主義(Neo-Impressionism)」というのは、
1980年代後半にフランスに現れた絵画の様式です。
別名「分割主義(Divisionism)」とも言われますが、
簡単に言うと、当時の最新の科学理論に基づき、
絵具の色を要素に「分割」して描く方法・美術運動のことをさします。

この様式の中心にいたのが
ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)という人物で、
彼によってこの手法が編み出され、確立しました。


***


さて、
正直なところをいうと、
私はこれまで「新印象派」というものに親近感がもてずにいました。
なんだか画面構成が人工的で、人物は人形のようだし、
色彩がぼんやりしている上に、全体的に冷たい印象。
理論的には意義があったのだろうけど、
鑑賞するにはなんとなく「面白みのない」一派と思っていたのです。


それに、
「分割主義」的手法を使えば
パレットで混ぜるより「色が鮮やか」っていうけれど、
「ホントにそうかなあ?」と思っていました。

だって、モネ(Claude Monet)みたいな
いわゆる「普通の印象派」のほうが、
筆致は自由でダイナミックだし、色もヴィヴィッドな感じがしませんか?


だから、今回は「見て楽しむため」というよりは、
「お勉強」と言う感じで展覧会に足を運んだのでした。

でも、本展覧会では、新印象派の魅力、
その作品を見る楽しみの一端に触れることができました。


***


展覧会の構成ですが、
スーラが、1880年のモネの個展に感銘を受けて、
画家になることを決意するところから始まり、
続いくスーラによる新印象派の手法の確立、その展開、
そしてその死とその後の動き・・・という章立て。


この展覧会を貫く糸はなんといってもスーラです。

「新印象派」理解のキモは、
やはりその創始者であり理論的支柱であったスーラだと思います。
そして、この展覧会でそのことがよくわかります。


ただし、本展覧会にきているスーラの作品自体は少ないです。
習作をのぞくと4点程度。

むしろ、スーラの運動に共鳴し、
スーラとともにこの美術運動を牽引してきた
ポール・シニャック(Paul Signac)や、
スーラの死後にシニャックと共に運動の中心を担った
アンリ=エドモン・クロス(Henri-Edmond Cross)の作品が多いです。


本展覧会で見られる重要なスーラ作品は、
1885年の《セーヌ川、クールブヴォワにて》(①)と
1888年の《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》(②)
だと思います。


スーラ①


スーラ②



①は、スーラが「新印象派」の手法を世に問うた
あの有名な《グランド・ジャット島の日曜日の午後》の
発表前年に描かれたもの、
そして②は1891年に亡くなるスーラの晩年の作品、
ということになるでしょうか。


たった3年の違い。
でも、それは長い長い3年だったことがわかります。


スーラは、それまで「印象派」が培ってきた
直感的な色彩リアリズム(「筆触分割」)を、
より厳密な規則性に落とし込み、
光によって生み出される色彩(光学的色彩)を
絵画画面上の絵具の色(絵画的色彩)で
合理的に表現しようとしました。

私もあまり詳しくありませんが、
本展覧会でも紹介されているように、新印象派の理論は、
当時の最新の色彩理論や物理学に基づいたものでした。

それを知っている人は、新印象派の絵画を見たときに、
「理論倒れなのではないか?」と疑ったことはないでしょうか。
私はそうでした。


でも、今回つくづく見ていて気づいたのです。
彼らの絵画は、(いわゆる)「印象派」の絵画、
あるいは17世紀オランダ絵画を見るように見ていても
その美しさはわからないのだと・・・。


そう、
新印象派とは
「適切な距離をとって」おつきあいする必要があるのです。



***


展覧会場に足を踏み入れ、順番に回っていきましょう。

モネやモリゾ(Berthe Morisot)らの作品、
スーラ①や新印象主義に傾倒する以前のシニャックの作品などを経て、
スーラの理論に基づいて製作された作品が並んだ空間に
足を踏み入れます。

みな「分割主義」的に描かれた作品のはずです。
でも、
「これはものの固有色を点点で描いているというだけではないの?」
という疑問がまだ拭えません。

「理論」の「効果」が感じられない。
分割主義は技術的問題にすぎないのか…と。

さらに進むと、
シニャックの
《サン=ブリアックの海、ラ・ガルド・ゲラン岬、作品211》(③)と
スーラの《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》(②)の
二つの海景が並び合った箇所に至ります。

スーラ②


シニャック


構図的にも似通ったところのある二作品。

同じ点描でも
より色鮮やかなコバルトブルーで目を引くのがシニャック。

一方で非常に細かい筆致を重ねて
ごく明るい浅葱色の海面を表現するスーラの作品。
手前に浮かんだヨットの帆は、
赤と青の細かい点描で三角形を形作っています。



ふと遠ざかってみます。


ずっと下がって。
部屋の真ん中におかれたベンチを挟んだこちら側まで下がって。


5mから7m位でしょうか?


スーラ作品の穏やかな陽光の中に浮かぶヨットの帆は、
今や赤と青の斑点ではなく紫がかった帆影となりました。
光を透過するような陰。

でもなにより目を奪われるのは、
鏡のように静かで、でもさざ波だったようでもある
透明感を失わない水面の色の美しさ。



決して大きい絵ではありません。
50㎝×70㎝とか、それくらいの。


でも、
このサイズの絵画で、
こんなに淡い色彩で、
こんなに遠くから見て、
こんな風に鮮明な印象を残せる絵画というのはあまりありません。


新印象派との「適切な距離」、
それは「もっと近くでみつめる」ことではありません。

かなり離れて見る必要があるのです。



目がパレットになるためには、
つぶつぶが見えている状態では不十分です。

離れましょう。もっと、ずっと。


すると新印象派の画家の思い描くものがわかります。
いえ、「新印象派の画家」ではなく、スーラの思い描く理想が・・・。


***


美術作品を表現する言葉として
「モニュメンタル」という言葉があります。
「記念碑のような」という言葉で、
もともとは、ある歴史的人物や出来事を記念するために建てられた
大きな碑などの様子をさすものです。
絵画作品を形容して使われる際は、
「堂々とした」とか「壮大」な感じを表す言葉として
使われていますが、
比較的小さい絵画に使われる場合は、
「古典的」「どっしりとした安定感」というニュアンスも
あるように思います。


私は、以前、プッサン(Nicolas Poussin)の
タブロー(=壁画でない絵画)を見た際、
非常に小さいのに、
ものすごく大きく堂々と感じられて驚いたことがあります。

それに似たものを私は今回、スーラに感じるのです。

一般には似つかわしくない言葉と思われるかもしれませんが、
スーラの作品には一種モニュメンタルなところがあります。

遠くから臨むべき絵画。
プロジェクションのように、
離れるほど受け取る側の印象が広がる絵画。
しかも静謐な安定を保ったまま…。


こういう印象を受け取るのは、
スーラの目指した理念が、「科学的合理性」であると同時に
「古典主義」であったからなのかもしれません
(モネら前世代の「印象派」と対比される部分です)。


また、モニュメンタルということでいえば、
新印象派の手法は、絵具による一種の「モザイク画」でした。
それぞれ固有の色のついた
テッセラ(モザイクを構成するガラスや陶器などの小さな切片)を
一つ一つ埋め込んで画像を描くモザイクのように、
点描という色の断片で画面に埋めていく新印象派の手法。

その真価が、スーラのこの一枚を見ていると感じられてくるのです。


一方に目を転じると、
隣のシニャック作品は、
色の彩度は高く、その点では目を引くけれど、
遠ざかったときの混色の効果は
スーラ作品ほどは感じられないように思います
(もちろんこちらはこちらで美しいですが)。
画面左下に飛び出したごつごつした岩の色合いが、
全体の調子からはずれているような感じもします。


***


秘密主義者であったというスーラは、
仲間であるシニャックにもその手法を明かさなかったといいます。

展覧会全体をみていると、スーラ以外のだれも、
本当には彼の理論を理解し実践できなかったのではないかと
おもわされます。

スーラの生前から、彼に追随する新印象主義者たちは、
完全な「法則化」には服従しきれていません。
それぞれの画家が
自分のタッチ、色の指向性、手技の自由さから逃れられなかった。

とどのつまり、
光と色と画面の調和についての秘技は、
スーラの死とともに失われました。
新印象派の心臓は、スーラとともに永遠に止まったのです。


もちろん、スーラの理念と他の画家とのブレを感じるのも
また一興ではあります。

スーラ死後の新印象主義の画家達の作品には、
心象風景を映したようなものがあり、
別の趣が感じられるように思います。


***


美術館の広さということもあるので、
あまり後ろまで下がれない作品もたくさんあります。

そういう意味では、今回、
スーラの①の絵はあまり後ろから見ることができず、
①と②の比較、という点からは少し残念でした。

その他の作品も、設営の関係上、
タブローの大きさに比して
「適切な距離」がとれないものもありますが、
全体としては
「新印象派」が充分堪能できる展覧会となっていると思います。


***


最後に、この展覧会を楽しむ際の注意がふたつ。

新印象派の絵は、目がパレット。
つまり「見る」行為をする私たちの感覚器を(意識化こみで)
めいっぱい使わなくてはいけません。

十分に時間をとって、ゆっくりご覧になるのがおススメです!

そして後ろに下がる際は、
周りの方にぶつからないように十分注意して下さいね。


新印象派に対する当初の印象が大きく変わるものではないけれど、
その美しさの心髄をみたような展覧会。


 
〈新印象派展 光と色のドラマ〉
会期:2014年10月10日ー2015年1月12日
会場:あべのハルカス美術館

http://neo.exhn.jp/index.html


【巡回】
東京都美術館
2015年 1月24日(土)~2015年3月29日(日)

お近くの方はぜひ足をお運びください。

今日はこれぐらいで。
それではまた。



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