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プロフィール

如月東子

Author:如月東子
C’est l’enfance de l’art.へようこそ。
(セ・ランファンス・ドゥ・ラール)

昔から絵を見るのが好きで、美術系の大学に行き「美術史」などを少し勉強しました。

その後、美術とは関係ないお仕事についたけど、美術について、普通の人よりはちょっぴりだけ多く考えてきました(多分)。

そんな私が、これまで美術鑑賞をするなかで気づいたこと・感じたこと・考えてきたことの中には、美術をもっと楽しみたいと思ってる人に、なにかヒントになることがあるかもしれません。

美術鑑賞の記録を中心に、美術館などの紹介や鑑賞の役に立つ情報などを載せていければ、と思います。

皆さんのお役に立てれば幸いです☆

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過去は過去ではない。傷は癒えていない。

映画「ルック・オブ・サイレンス」鑑賞
The Look of Silence
2014 103分
デンマーク・フィンランド・インドネシア・ノルウェー・イギリス
監督 ジョシュア・オッペンハイマー 


オススメ度 ★★★★★


インドネシアにおける
1965年の「共産党員」虐殺事件の記憶を、
「加害者自身による再演」という、
常識的には考えられない方法で描きとった
前作「アクト・オブ・キリング」。

オッペンハイマー監督がふたたび、
あの虐殺事件を描きました。

それが本作「ルック・オグ・サイレンス


今回の作品では、
被害者家族の一人からの、
かつての殺人者とその家族に対する、
静かな静かな「問い」が、
いまだに価値が転倒し続けている
インドネシア社会を浮き彫りにします。


***


追求をするのは、アディ。
40代の眼鏡技師です。

殺されたのは彼の兄。
彼は兄が殺された後に生まれた子供で、
彼自身には、兄についても虐殺についても記憶はありません。


アディが加害者への追求をはじめるきっかけがなにかは
映画では描かれません。
おそらく兄の死を嘆き続ける母親からの話と、
オッペンハイマーが撮りためた
加害者による虐殺の再演ビデオを見たことから、
アディはこの危ういクエストをはじめたのです。


「兄はどのように殺されたのか?」
「なぜ兄は殺されたのか?」
「なぜ彼らはあんなに残酷な方法で兄を殺したのか?」
「彼らはいまだに罪悪感を感じていないのか?」
そして、
「どうしたら自分たちは彼らを許せるのか?」

その答えを探す旅。


アディは眼鏡を作ってあげる、などの名目で、
加害者たちに会いにでかけます。

作業の合間に静かに質問を続けるアディ。


直接の殺人者たちは、まず自分の罪を認めません。
ただ強硬に言い訳をするだけです。

「『共産党員は悪い奴らだ』、という噂だった。
殺すのは当然だった。」
「軍の命令だったからやっただけだ」

彼らが罪を自覚するには、長い時間とプロセスが必要です。
前作でアンワルがたどったような…。


一方、殺人者の家族は少し反応が違います。

彼らは「通常」のモラル——殺人は悪、という——
を持って日常の生活を送っています。

しかし一方で、インドネシア社会では今でも
「共産主義者は悪」という強いイデオロギー統制がひかれており、
往事の虐殺を省みることなく、
「共産主義者を殺した人」=「英雄」という価値観が、
矛盾なく受け入れられています。


そこに突然、被害者の家族が訪れ、
親や夫の過去の罪を問いただします。


「無実の私の兄が、あなたの父(夫)に殺されました。」と。


家族達は、直接あのイデオロギー的な熱狂に身をさらされたことはなく、
軍の暗黙の強制にもさらされていません。
「英雄」とすら思ってきた自分の父や夫が、
罪もない近所の人間を、大量に、そして残酷に殺した事実について、
日常のモラルからは受け入れられず、
ある者は、とっさに、あるいは表面的に、「父を許して欲しい」といい、
ある者は「私は知らない。関係ない。」と
完全に話を聞くことを拒絶します。


…彼らには確かに直接の罪はないかもしれない。

けれど、家族の一人を永遠に失った被害者にとっては、
殺人者に与えられた幸福の一部であり、
殺人者を英雄とする社会の価値観を共有し支える者であり
決してイノセントな存在ではありません。



私ここで、加害者側と被害者の和解の遠さを思い知りましたが、
しかし一方で、なんというか、
本当の「人間性」「人道的正さ」という価値が、
確かに存在しうるのだという風にも思いました。


もちろん、加害者家族の行動が
それを体現しているということではありません。

インドネシアでは価値は転倒し続けています。
被害者(「共産主義者」とされた者達の家族)は、
今でも、公職につけないなど、制約を課されたままです。

当時は、アメリカもこの虐殺を賞賛したことが、
作品中に流れるニュース映像でも確かめられますが、
さすがに現在、この見解をとる人は少数でしょう。

このクラクラするほどの価値の転倒。
その状況は「出口が見えない」ようにも思えます。

しかし、それでも、
「あの虐殺はまちがっていた」ということは
いまや明らかな真理なのだ
、と、
加害者側の姿を通してはっきりと私たちは感じるのです。


「人間性」を否定する価値を受け入れることは、
加害者側にとっても、心をゆがめずにはできないことだ、
ということはハッキリしています。

虐殺をした当事者の間には当時こんな迷信が広まっていました。
「殺した者の血を飲むと、狂わなくて済む。」

しかし、むしろ飲み干した者たちこそが狂ったのだ、と、
スクリーンを見ている私たちにはそう見える。


人間性に対する罪は確かに存在する。


たとえ表面にあきらかにならなくとも、
個々人の心の中では、
「人間性」の眼差しが、
はっきりと過去の罪を照らし出しているのです。



本作のなかにおいては、アディに救いは訪れません。
むしろ、ごく身近な人間の中にすらこの虐殺に加担した人間がいたことを知って
打ちのめされる。


加害者達、そして、虐殺を逃れた者は言います。
「過去は過去」「傷は癒された」
「蓋を開けてはならない」、と。

しかし、被害者家族にとって、
そしてインドネシア社会にとって、
いまだに過去は過去ではない。
傷は癒えていない。

罪の償いと和解のプロセスが始まるまで、
その傷は永遠に残りつづけるものなのです。


***


インドネシアが題材ですが、
翻って日本の加害のことを思ったり、
世界の歴史に思いをいたしたり、
色々なことを考えさせられる映画です。

危険を冒してこの映画の制作をしてくれた
数多くのANONYMOUSに賞賛をおくりたいと思いました。

上映館が少ないですが、ぜひ御覧下さい。

公式サイト
http://www.los-movie.com/

「アクト・オブ・キリング」のDVDも↓
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%85%A8%E9%95%B7%E7%89%88-%E7%89%B9%E5%85%B8DVD-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95%E4%BB%98%E3%81%8D-Blu-ray/dp/B00O271AW4/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1437905449&sr=8-1&keywords=%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0



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